知研東京のセミナーのゲスト講師は八木哲郎会長。テーマは「情報積み重ね方式による小説執筆技法」。

知研東京のセミナーのゲスト講師は八木哲郎会長。テーマは「情報積み重ね方式による小説の執筆技法」。小説を書くための「知的生産の技術」を開陳した素晴らしい講演だった。「膨大な文献の読み込み」と「果敢な行動力でのフィールドワーク」でこの素晴らしい小説が出来上がったことを私も確認した。

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『中国と日本に生きた高遠家の人びと』(日本地域社会研究所)という小説の執筆過程を説明したセミナー。こうすれば誰でも小説が書ける、というノウハウ満載の内容だった。執筆に3年かかった。以下、知的生産の技術。

昭和2年から21年までの朝日新聞の年鑑19年分を府中の図書館で丹念に読んだ。このことで日本社会の動きが頭に入った。強力な権力(政府、官庁、記者クラブ)。新聞は官庁発表を記事にする。国民は誘導されて一応従順に従っていく。

・時代のイメージ、雰囲気をどう伝えるか。解説ではなく、実物で伝えるしかない。小説という形がいい。情報で読ませる。全体を読者に想わせる。

・司法の世界の情報収集。裁判記録。法廷記録。法政大学大原社会問題研究所は資料のありかを教えてくれた。八王子の蚕農家。鰊。正月風景もきちんとした専門資料の情報で構成した。記憶で書いてはいけない。裏付けのある情報。「正月料理の作り方」。リアリティ。高尾山。一家団欒の会話の中で当時の議論を反省させる。日本でははj秘めての八路軍の資料を用いた小説。大宅文庫で「改造」。笠信太郎の論。

・現実を反省した証拠、文献を使う。頭で理解させるのではなく、抽象的な言葉で表現しない。当時の現実を感じさせる。情報を知ることが一番正しい。最大の喜び。

・日本には負け戦の資料は残っていない。昭和とは何か?から始まった。もやもやの状態のままで。コストと時間がかかっている小説だ。

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終了後、懇親会。

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午前:立志人物伝の授業「怒涛の仕事量・女性編」。樋口一葉与謝野晶子。志村ふくみ。以上を中心に紹介。以下も触れた。白洲正子高野悦子石井桃子向田邦子緒方貞子草間彌生曽野綾子茨木のり子

昼休み:樋口先生と久米先生と懇談。

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午後:次の著者『読書悠々ーー現代を読む』の編集作業が終了。12月1日に発刊予定。

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「名言との対話」11月22日。平野雅章「これ(食物のことわざ)は、わたくしたち日本人の祖先がみずから体験しくふうし確かめ語り伝えてくれた食生活のエッセンスです」

平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 2008年11月22日)は、食物史家である。

 早稲田大学第二文学部心理学科在学中から北王路魯山人に師事し海外旅行にも同道し、料理と美術を学ぶ。主婦の友社に勤務ののち、食物文化史の研究に従事し文筆活動を行う。テレビの人気番組「料理の鉄人」「トリビアの泉」などで魯山人の弟子として紹介され、審査員もつとめた。「味ごよみ」「しょうゆの本」「魯山人味道」「美味真髄」など著書多数。

『食物ことわざ事典』を読んだ。食物に関することわざ、日本人の祖先が体験し、工夫し、確かめ、語り伝えてくれた食生活の知恵のエッセンスだ。1項目2ページで120項目の解説は、歴史、言い伝え、古典の知識、故事、和歌、俳句、料理法などが凝縮されている。一編一編に著者の熱意が感じられると同時にコストがかかっていると思わせる名著だ。

鮟鱇の待ち食い。一膳飯は食わぬもの。うまいものは宵に食え。梅はその日の難のがれ。えぐい渋いも味の中。大きな大根辛くはなし。かかあの顔は三品。午前中のくだものは金。こんにゃくは体の砂払い。酒・飯・雪隠。砂糖食いの若死。サナンマが出るとあんまが引っ込む。しゅんに食べるのが食通。食器は料理のきもの。田作りも魚の中。強火の遠火で炎を立てず。冬至かぼちゃに年取らせるな。土産土法。ないもの食おうが人のクセ。夏は鰹に冬鮪。包丁十年塩味十年。茗荷を食えば物忘れする。、、、。

この本を読みながら、日本人の食生活は、「ことわざ」の中に生きていることを痛感した。「まえがき」には「書き始めから終わりまで、おのれの物知らずにさいなまれ、恥をかき書き、たどりつきました」とある。難産であったことがわかる。

食の分野に限らず、「ことわざ」にを含む短いことわざは、人間の知恵のエッセンスであることを改めて思った。できるだけ引き継いでいきたいものである。 

食物ことわざ事典 (1978年) (文春文庫)

食物ことわざ事典 (1978年) (文春文庫)