「新宿中村屋サロン美術館」ー相馬愛蔵と黒光。

新宿中村屋サロン美術館」ーーー相馬愛蔵・国光。

1897年、26歳と21歳で結婚。1920年、東京でパン屋を開業。1909年、新宿を本店とする。同郷の荻原守衛を中心に芸術家・文化人が集い、「中村屋サロン」と呼ばれる。1910年、荻原が中村屋の敷地内にアトリエを建築。柳宗悦も一時アトリエに住む。1911年、荻原のアトリエを中村屋に移築し、「碌山館」と命名した。

中村屋はゆっくり成長していった。愛蔵は世の中の仕事というものには、改善できる部分が必ずあるという考えで、一つずつ改良を重ねていく。私の好物でもあったクリーム本は中村屋の発明である。

中村屋サロンに集った人々のなかでも彫刻家の荻原守衛・碌山は二人にとって特別な人だった。特にアンビシャス・ガール黒光は弟のように接している。守衛の代表作「女」をみたとき、黒光は「これは私だ」と叫んだ。アメリカ、ヨーロッパで7年間の彫刻の修行をし、ロダンの弟子となった守衛は、亡くなるまでこの夫妻とともにあった。守衛の師匠はロダンであり、ロダンの師匠はミケランジェロである。

インド独立闘争の英雄、チャンドラ・ボースを官憲からかくまったのも、この中村屋である。ボースは食事を運んでいた愛蔵・黒光の娘と結婚している。ボースは二人を「トウサン」「カアサン」と呼んだ。

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石川拓治「新宿井ベル・エポック:芸術と食を生んだ中村屋サロン」を読むと、この二人の軌跡がよくわかる。この本を読んで得た私の一つの発見は、写生という考え方が西洋から入る前の日本画の修行は「模写」であったことだ。写生という言葉は小学校時代の絵画の授業でも聞いたことがあるが、自然を写すという意味だろうと思っていた。2012年に世田谷文学館アララギ斎藤茂吉展を見たときに、写生は「生」の方が大事だったことがわかった。生とは「生命」のことなのだとわかり大いに納得したことがある。茂吉は生命を写し取るという深い意味を込めて「写生道」を標榜していた。模写ではなく、写生というキーワードが絵画だけでなく、俳句や短歌の革新者・子規や、小説の分野にも大きな影響を与えたことが理解できた。

 黒光「波も風もないことだけで幸せとはいえないと思うんですよ。波も風もないのは、幸福でもなければ、不幸でもない。ただ何もなかっただけの話ですよ」

 69歳時点で愛蔵は「中村屋の商売は人真似ではない。自己の独創をもって歩いてきている」と振り返っている。従業員の待遇や、働く環境を考えるこのとが、経営を安定させる道であり、商売を成功させる秘訣だ。経営の合理性の問題として語った。時代を先取りした珍しい経営者だった。

新宿の中村屋の近くにあった高野果物点はタカノ・フルーツ・パーラーとなり、田辺茂一紀伊国屋書店は書店界の雄となった。この3つの店は今でも私も使っている。それぞれの企業にはそれぞれの物語がある。2014年に新しい新宿中村屋ビルが完成した。その真ん中の3階に新宿中村屋サロン美術館が開館した。中村屋は創業者の志を引き継いでいると感じる。

新宿ベル・エポック: 芸術と食を生んだ中村屋サロン

新宿ベル・エポック: 芸術と食を生んだ中村屋サロン

 

 

 

「名言との対話」11月25日。フィデル・カストロ「心の火が消えたまま人生を生きてはならない」

フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスFidel Alejandro Castro Ruz (Speaker Icon.svg audio), 1926年8月13日 - 2016年11月25日)は、キューバ政治家革命家軍人弁護士 

キューバ革命を成功させた英雄・カストロは、 イエズス会の学校で教育を受けた。最優秀高校スポーツ選手に選ばれる。ハバナ大学に入学して法律を学んだ。 卒業後、1950年から1952年の間には弁護士として貧困者のために活動する。

1953年7月26日、130名の仲間とともにモンカダ兵営を襲撃する。襲撃した3分の1の革命戦士が亡くなった。26歳のカストロは収監された。1955年、恩赦によって亡命。メキシコに渡り、ゲリラ部隊を組織。1956年末に弟のラウル、ゲバラら81人の闘士とともにキューバ沖に到着。1959年に1月1日、バティスタ将軍は国外逃亡、キューバ革命は成功する。

首相に就任したフィデルは、キューバ共産党による一党制を敷いた。最高指導者として活動し、1976年からは国家評議会議長として正式に国家元首となった。 2016年11月25日、弟のラウル・カストロが国営テレビを通じて「キューバ革命の最高司令官が死去した」と発表した。90歳没。後継はラウルとなった。

カストロ(弁護士)はゲバラ(医者)より2歳年上である。この二人はまったく同じ性格と気性で、かつ同一の考えを持っていて意気投合し、二人で革命を成功させた。ゲバラは「桁外れの人間性には驚かされた、、、、私は彼の楽天的な考えを共有することになった」と語っている。

   知的生産の技術研究会セミナーで、「いまキューバが熱い!」というテーマで近藤節夫さん(日本ペンクラブの理事)が講演した。世界を旅する近藤さんのキューバ報告は臨場感があり珍しい話に溢れていていた。

  •  国づくりが成功。平等。それなりに豊か。カストロ兄弟とゲバラというリーダーの国づくりが素晴らしい。私利私欲なし。権力志向なし。カストロは弁護士。ゲバラは医師。カストロの戦略をゲバラが実行。
  • 1492年コロンブス上陸以来400年スペイン領。1898年の米西戦争アメリカ。キューバ共和国。1951年1月1日キューバ革命。1962年キューバ危機。1967年ゲバラ死。2015年米と国交回復。2016年フィデル・カストロ死。
  • 義務教育制度(識字率99.8%)。教育支出12.8%(世界一)。医者は1万人あたり67.2人(日本23人)で世界一。医療は無料。医師派遣で外貨収入。
  • 弾圧・虐殺:金日成160万人、ポルポト170万人、毛沢東7800万人、スターリン2300万人を虐殺。ヒトラーは1700万人。
  • コメコン(経済相互援助会議)10ヶ国で分業体制。1991年ソ連崩壊で苦境。
  • 一人当たりGDP:キューバは7274ドル。中国7617ドル。北朝鮮696ドル。ロシア12898ドル。日本36298ドル。
  • やっかいなモンタナ米海軍基地。小田原市と同じ面積。永久租借権。
  • 国民の表情は明るい。貧富の差はない。ゴミがない。インフラが優れている。社会サービスは遅れている。清潔。悪臭がない。緑が多い。ペソ。へミングウェイのバーが人気。
  • 日本とは細いパイプ。1975年には2311億円の貿易だったが、2015年は67億円に大減少。2010年代は5-8%成長。中国貿易。25.5度。米の世論は好意的に。
  • 課題:後継者問題。日本との交流。

カストロは、自分の思想は膨大な読書と熟考から引き出したものであり、1人の師もいなかったと述べている。

「私はモラルというチョッキをいつも着ている。とても頑丈なヤツをね。そして、それが私を守ってくれた」「なすべきであったことを行うには明日では遅すぎる」。カストロは生涯にわたって「心の火」を燃やし続けた人である。

少年フィデル (TWJ books)

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