公益社団法人「化学工学会」の経営ゼミナールで2時間の講演。

公益社団法人「化学工学会」の経営ゼミナールで2時間の講演。

この化学工学会は化学関係の企業の社員が中心の学会で、8000人の会員で構成されている。小野田セメント花王昭和電工信越化学、中部電力東京ガス東レ日本ガイシ、日本製鉄、富士フィルム三井化学三井造船、日産化学、大阪ガス住友化学日揮旭化成千代田化工建設三菱重工、ライオン、カネカ、出光興産、ロート製薬月島機械などの企業が名を連ねている。

f:id:k-hisatune:20191130165025j:image

1973年から各企業の幹部を集めて合同で研修を行っており、今回は第45回で、「自らを変え、変革の波を起こせ!--明日の日本を私が創る」がテーマだ。8月の関西セッション、9月の伊豆セッション、10月の東海セッションを経て、11月の東京セッションが今回のゼミナールになる。29日は、ローソンの社長だった玉塚元一さん、30日は私が講師になった。10年ほど前のSMBC主催の新任取締役研修で講演した私を当時受講した綜研テクニックスの赤池取締役が推薦してくれたそうだ。

過去の講師リストをみると、2001年以降では、遠藤功、寺島実郎、入交昭一郎、竹村真一、柴田昌治、出口治朗、高橋進、佐々木常夫、安部昭恵、西山昭彦、岡本行夫小宮山宏丹羽宇一郎茂木健一郎、林文子、平尾誠二嶌信彦、水谷研治、畑村洋一郎、椎名武雄金井壽宏、谷口正和、、などよく知っている名前が並んでいる。

私の講演テーマは「人生100年時代を迎え撃つ、アタマとココロの革命を!」で、1時間45分の講演と15分の質疑応答だった。受講者は50人ほどだが、OBも来ており、100人ほどが受講した。中心は40代後半から50代前半の課長、部長クラスの人たちだ。私も気合を入れて話をした。このゼミナールの受講者は3分の一が役員に昇進しているそうだ。

f:id:k-hisatune:20191130165014j:image

終了後の打ち上げパーティにも参加した。実に和やかで活気にあふれたパーティで、日本経済の現場を支える人たちの熱い息吹を感じてこちらも元気をもらった。名刺交換したのは、三菱ケミカル、綜研化学、ダイセル東亞合成東京ガス千代田化工建設、日産化学、月島機械住友化学住友ベークライト三菱日立パワーシステムズ、リファインホールディングスの人たちで、所長、プロジェクト長、執行役員、部長、チームリーダー、工場次長、マネジャー、主席、社長などだ。第一線のリーダーたちと十分に交流ができた。この方々にはメルマガを送ろう。

講演の感想をいくつか聞いた。「目からうろこ」「腑に落ちた」「職場で活用したい」「個人としてのテーマを探す」「感動」、、などだった。頑張ってもらいたい。

ーーーーーーーーーーー

早稲田大学国際文学館(通称:村上春樹ライブラリー)。ユニクロ柳井さんが12億円寄付。

ーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」11月30日。堀江幸夫「世界にない新商品を創れば必ず大ヒットする。世界中でいっぺんに売れてしまう」

堀江幸夫(1911年10月1日〜2010年11月30日)は、日本の実業家。ぺんてる創業者。享年99。

筆職人の堀江利定が1911年に創業した「堀江文海堂」というの卸問屋浅草で営んでいた。息子の堀江幸夫は1946年大日本文具株式会社を創業。1971年に社名を「ぺんてる」に変更した。ぺんてるとは、penと伝達の意味のtellを合成した「ペンで伝える」という意味の造語である。創業以来、「先っぽ(ペン先)の技術」「色」「敷居を下げて気軽に使える商品開発」をすすめてきた。サインペン、筆ペン、ボールペン、消しゴム、シャープペンシル、などの筆記用具、絵具、マーカーなどが主力商品だ。現在ではタッチパネル、液晶パネルなどのハイテク分野でも実績をあげている。

2019年3月現在で、売上高235億円、純利益3億8500万円、総資産335億円。従業員は773名(2012年。単体)。コクヨが37.45%の株を持つ。私の愛用の黄色のノック式マーカーもや、ボールぺんてる、サインペンもぺんてるだ。サインペンはアメリカのアポロ計画で採用されているという。

最近、このぺんてるをめぐってコクヨとの確執、プラスの登場などメディアを騒がせていることも気になっていた。この三社の企業規模を比べると、2018年度で、ぺんてる403億円に対し、コクヨは3151億円、プラスは1772億円だ。コクヨ少子化による国内市場の先細りで海外に強いぺんてるを取り込もうとしている。それを阻止しようとプラスがホワイトナイトになろうとしている。少子化グローバル化がこの騒動を起こしたキーワードである。

創業者の堀江は「よくアメリカにもあるものをまねるやり方をする人がいるが、これではだめだ。これは日本でしか売れないから世界商品になり得ない。世界商品はまずアメリカで売れ、次にヨーロッパで売れ、そしてヨーロッパで売れ出したら日本で売れだすというのが普通なのである。」、「ぺんてるは、世界中にない、しかも市場性のある、品質のいい、アイデアのある商品をつくるという考えで新商品の開発を進めている。だから世界中でいっぺんに売れてしまう。」と生前に語っている。優れた着眼を持った経営者だ。現在では、世界二十数ヶ国に拠点を持つようになり、各国々の人達が『ぺんてるは自分の国の会社だ』と思い込んでいる人が多いという世界のぺんてるの創業者は、この騒動をどのようにみているだろうか。これを機会に経緯を見守りたい。