大学生のロールモデル?福澤諭吉。スティーブ・ ジョブズ 。夏目漱石。吉田松陰。 野 口英世。渋沢栄一。藤子不二雄A。手塚治虫 。土方歳三。新渡戸稲造。ズラタン・イブラヒモ ビッチ。イチロー。草野マサムネ。与謝野晶子。岩田聡。岡本太郎。加島祥造 。坂本龍馬。山本五十六 。富野由悠季。坂本孝。

「立志人物伝」の授業の14回目。アンケート「この講義を受けてどう変わりましたか?」を、エニアアグラムのタイプ別にまとめた。個人名は各人が最終レポートで取り上げる人物。

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<タイプ1。完全主義者> 昔の人々のおかげで今があると実感した。 ・「人生はどういうものか」を名言で知り感覚を 味わえた。図解を通じて人生をわかるようになっ た。 ・今後の自分自身の人生に影響を与えた講義だっ た。 ・物事について深く知ろうということが強くなっ た。 ・様々な名言があることを知った。調べた。本を 読むことは大切。知識や知恵は最大の武器になる。 最低でも月2冊は読むようにした。 ・福澤諭吉。 ・何を目指して生きていくか見つけられた。 ・人に対する考え方が変わった。

<タイプ2 たすける人> ・情報を沢山得られて偉人達への考え方が変わっ た。歴史に名を残しているということは、一人一 人にストーリーがあり何かに貢献したという表れ だと思う。自分の人生にプラスになるように取り 入れてたい。 ・名前以外の情報を多く得ることができた。 ・私の考え方を変えるきっかけになった。福澤諭 吉。 ・考え方が変わった。成長できた。 ・尊敬できる人物を明確にできたことにより人生 の目標を見つけることができた。歴史に残る人物 になりたい。 ・偉人の生き方を見習いたい。 ・パワーポイントの使い方が良く分かった。 ・視野を広くしようと意識するようになった。講 義で取り扱った人物に関連した番組を見るように なった。 ・何事も継続するようになった。福澤諭吉。 ・自分の将来を色々と考えた。 ・自分のライフデザインを考える事ができた。 ・他の講義とは違い新鮮な感覚を味わえた。積極 的に動く、行動力のある人間になれたらと思う。 ・これからの人生観や人への考え方が変わり偉人 への見る目が変わった。 ・一日一日を大切にしていく気持ちをもった。明 日の目標や一週間の過ごし方を考えるようになっ た。 ・自分の人生観が大きく変わった。みな地道な努 力をしている。素晴らしい人達に刺激されて自分 も努力し成功したいと思った。

<タイプ3 成功を願う人> ・自分になかった考え方を学べた。スティーブ・ ジョブズ ・学ぶ事は名人のやり方ではなく人生の態度。 「態度が一切決めた」人生で態度がとても重要。

<タイプ4 独特の人> ・考え方が変わった。偉人とは努力をしてきた人 をいうのだと思った。 ・人生の師匠を見つける重要さを知った。心の持ちよう、在り方を教わった。 ・夏目漱石

<タイプ5 観察者> ・レポートを書くときに計画をたてるように なった。吉田松陰。 ・電軍レイジュン ・多くの偉人を尊敬できるようになった。 ・力強く心に響く言葉が沢山あった。自分の信 念を貫けるような人間になりたい。 ・モデルとなるような人物を見つけられた。反面教師も見つけられた。 ・人は簡単には変わらない、という考えに変 わった。 ・本や図をよく見たり書くようになった。 ・これからの生き方を考えさせられた。 ・新たな知識を取り入れることができた。

<タイプ6 忠実な人> ・自分では知らない新しい感覚や考え方をもっ と知りたいと思った。 ・偉人になれるよう形から入ろうと思った。野 口英世。 ・困ったときは何度も図解することが重要。 ・ものの見方が変わった。自分の人生と比較し どう歩むべきか見直すきっかけになった。 ・これからは今よりも好奇心を呼び起こせたら と思うようになった。 ・有名人の人生、言葉から勉強になった。

<タイプ7 冒険者> ・渋沢栄一の人柄、内面的な部分を知れたことが 自分にとって一番の収穫だった。 ・私も胸を張って自分の事を誇りに思える事を成 し遂げたい。 ・自分の人生テーマをしっかりと持っていたほう が良い。藤子不二雄A ・授業はとても大切なものになった。福澤諭吉。 ・日本の人物の関心が高まった。影響を与えるこ とが大切だと学べた。人生に影響。それこそが人 生そのものだと感じさせられた。 ・目標とできる人、尊敬できる人を探せた。 ・常に様々なことを思考するようになった。

<タイプ8 独裁者> ・エニアグラムや人生鳥瞰図が大切だと思った。 ・自分でも日本の人物を調べてみようと思った。 ・手塚治虫土方歳三。 ・手塚治虫福澤諭吉。自分をしっかり持つ事が 大切。特別講座はためになり見させて頂いた。 ・歴史の見方が変わった。 ・意識が変わった。 ・明日へ向かって生きる大切さを学んだ。 ・松下幸之助 ・自分自身の思考回路を変え成長することができ た。図の大切さを学び自分の頭の中が広がった。 手塚治虫福澤諭吉。 ・社会に出て行く上での大きなプランが明確に定 まった。新渡戸稲造。 ・人物伝を知る機会がなかったので良かった。今 後は本を読んで調べたい。ズラタン・イブラヒモ ビッチ。 ・今の経営のやり方を参考にするのもいいが、昔 のやり方が斬新で面白くやり甲斐があるのでとて も興味を持った。

<タイプ9 平和を願う人> ・偉人の考え方を学び視野が広がった。 ・イチロー ・色々な視点からの考え方をできるようになっ た。夏目漱石 ・前よりもメモが取りやすくなった。 ・草野マサムネ(音楽家) ・私自身の今後の人生に活かしたい。 ・これから偉人の生き方を参考にしたい。 ・知らない本がたくさんあったので読みたい。 ・少しだけ前向きに物事を考えられるように なった。 ・色々な事に挑戦していけるようになりたい。 ・偉人達は人に夢を与えたり希望を持たせたり しているとわかった。物事を広くとらえプラス に考えられるようになった。 ・自分が今やるべき事何をするべきか考える きっかけになった。与謝野晶子

<タイプ?> ・20数年の人生で多く失敗している。偉人達は 私よりも苦しく失敗していた。失敗を無駄にし ないよう過ごしたい。このことに気づけた。 ・物事の考え方が増えた。 ・変化ない。 ・先人たちが残した「価値ある言葉」に耳を傾 けるようになった。人生を豊かにしていこうと 思った。 ・夏目漱石 ・「人生計画」を立てて過ごしていこうと思っ た。 ・昔の人物に興味を持つようになった。 ・さん ・将来をよりいっそう大事に考えて生きていく。 ・これからの人生で何かを判断する時の教科書 になった。 ・心に残る名言の数々を知った。今迄のメモを まとめたものをブログにでも書こうと思う。精 神が弱まったときに思い出したい。前向きに なった。 ・色々な人を知ってそれぞれ理想の形が違うの を感じた。岡本太郎。 ・考え方を変えるだけで偉人たちと同じ景色を 見ることができるかもしれない。 ・加島祥造 ・様々な人物の生き様や現世に残したものを知 り、歴史は尊いものであるという感情が芽生え た。坂本龍馬 ・仕事は数あれば当たるものではないとわかっ た。 ・何も変わってない。渋沢栄一。 ・山本五十六エニアグラムが面白く興味深かった。昔以上 に成功してやるぞ!と思った。富野由悠季 ・偉人達のおかげで今の人達が生きていけてい るのだと思った。 ・坂本孝

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地研。新年の挨拶と2月に出す本のスケジュールの確認。20日の週の後半にチェック。

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目黒の「林屋茶園」で橘川さんと会う。途中で(株)ハッツアンリミッテドの大野誠一副社長が加わる。その後、二人で「Bar Maruche Kodama」で食事。ラジオ。音のキャンパス。人。ギークハウス。地域活性化人。共通課題。ローリー。音声合成。万博。サミット。Woven City。日中近代交流史。修学旅行。、、、、、、。

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移動の途中で「NHKラジオ 聴き逃し」の「文化講演会」の桂由美「ブライダルファッションとともに54年」と題した1時間の講演を聴く。桂 由美(かつら ゆみ、1932年4月24日 - )は、ブライダルファッションデザイナー実業家。1月5日放送。87歳。

以下、桂由美の「名言」から。「和装婚がほとんどでウエディングドレスを着る方が3パーセントしかいなかった46年前の日本で、先を見越し、ウエディングドレス専門の事業を手がけた起業家(パイオニア)などと紹介されることが多いのですが、とんでもありません。その3パーセントの方々が気の毒で、何とか役に立ちたいと社会事業のつもりで始めたというのが本当のところです」「常々私は「生涯現役」と言っているのですが、やはり好きな世界に自分を投入していると、それが長く続いていくのだと思っています」「結婚する人を最高に美しく見せたい」「利益追求しなかったから、経営を50年も続けられた。10年も苦難の時期を過ごして、その間の自分には無給」「結婚適齢期だった20代は、母が経営していた洋裁学校を手伝うのと、自分の夢であるブライダル事業の二足のわらじで、目が回るほどの忙しさ」「多くのカップルの結婚式をお手伝いしてきましたが、私自身の結婚は42才の時」「「才能」とは英語でギフト、贈り物という意味があるように、『神がその人に与えた贈り物』です。しかし、「センス」は神からの贈り物ではありません」「お客様のわがままからヒットの花が咲く」「夢はお城のように ビジネスは岩のように」「振り返ると、手帳に記した一つひとつを実現してきたのが、私の人生なのだと思います。ブライダル協会を作る、ウエディング・プランナーを育てるなど、その後私が実現してきたことは、全部その手帳に書いてあったことなのです」「

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「名言との対話」1月10日。松沢一鶴「選手づくりは人作り」

松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 1965年1月10日)は、日本の競泳選手指導者

東京帝大理学部卒。日本泳法の神伝流の選手として活躍。1932年、ロサンゼルスオリンピック競泳コーチ。1936年、ベルリンオリンピック競泳監督。1964年、東京オリンピック事務局次長。「東京式」と呼ばれる閉会式の演出を手掛けた。1948年、東京都教育委員。1953年東京都教育委員長。

戦後も、水泳日本の再建を目指し、企業の社長や取締役をしながら、水連を切りもりした。古橋広之進や橋爪四郎は松沢を尊敬していた。NHK大河ドラマ「いだてん」の主役・田畑政治とは盟友で互いに呼び捨ての仲だった。

松沢は「式典の神様」と呼ばれていた。1960年のローマオリンピックの閉会式は松沢のアイデアを真似したものだった。1964年のオリンピックの閉会式では、マラソン優勝のアベベを先頭に、選手たちが国や性別にかかわりなく入り乱れて自由な姿で入場する企画を断行した。平和の祭典にふさわしい素晴らしい演出だった。中学生の私もこの光景をみて感動したことを思い出す。

ロス五輪では総監督の田畑が面倒な交渉事、選手候補や合宿日程の決定]を担当し、松沢が選手と信頼関係を築き、水泳指導に専念するという分担が成立した。「いだてん〜東京オリムピック噺」では、田端は松沢と高石勝男の1919年の全国水泳大会の対決を熱弁している姿があった。「いだてん」でも登場しているが、残念ながら私の記憶には残っていない。田畑に焦点があたったが、周辺には松沢や高石など多くの人が努力をしていたことをい改めて思った。

松沢には『水上競技 理論と技術』(朝日新聞社)の著書もある。理学部出身の松沢は理論家でもあった。

松沢は「選手作りは人作り」の考えで指導している。技術面だけでなく、心理面も重視した。根性論にかたよることなく、ゆとりを持ちながらの練習を計画・管理して実績を挙げている。分野を問わず、成功のカギは、やはり「人作り」にある。