加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)ーー自分のなかに二つの場所をもつこと。二人の感情をもつこと。

 加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)を読了。

加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年昭和23年)4月1日 - 2019年令和元年)5月16日)。2019年5月16日に死去した、評論家、文学者の加藤典洋の最後の本。11月19日発行。加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年昭和23年)4月1日 - 2019年令和元年)5月16日[1]

自分の人生に現れる友人、知人、などとの邂逅をたどりながら書いたエッセイ。加藤典洋の最後の言葉だ。父、多田謡子、橋本治、青山毅、中原中也、ブロック、寺田透安岡章太郎、久保卓也、森嶋通夫村上春樹、、こういう自分史の書き方もあるのだと思った。彼らとの関係で、彼らの生き方や言葉、自分の感慨、受けた影響などを記すという方法だ。いつか試してみたい。 

大きな字で書くこと

大きな字で書くこと

 

 ・調べものをしているうちに、これまで知らなかった人の、読んで心を動かす言動に触れることがある。

・未知の領域の文献渉猟の楽しみの一つに、これまで知らなかった人物にふれることがある

・自分は何も知らない、と感じらる瞬間をもてる人は幸運である。自分が小さく感じられるが、それは世界を大きく受け取る機会でもあるからだ。

・自分のなかに二つの場所をもつこと。二人の感情をもつこと。、、、自分の中に、もう一人の自分を飼うこと。ふつう生活している場所のほかに、もう一つ、違う感情で過ごす場所をもつこと。それがどんづまりのなかでも、自分のなかの感情の対流、対話の場を生み、考えるということを可能にする。それは、むろん、よく生きることのためにも必要なことである。

・原爆は広島と長崎に落とされたのではない。日本に落とされたのだ。原爆は日本に落とされたのではない、世界に落とされたのだ。

・国連を外交の基軸に据え、国連の再建を通じ、アジア諸国ともアメリカとも有効裡に平和外交を追求する道である。

・事実上、有事指揮権という名の交戦権を米国に差し出している。、、こういう国は軍隊組織の海外派遣など行うべきではない。戦闘が起こっても、国は関知しない。そんな条件で送り出された隊員は、悲惨である。

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・ヨガ

・八王子事務所。

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「名言との対話」1月14日。ハンフリー・ボガート「夕べどこに行ったの?「そんな昔のことは忘れた」、今夜は会えるの?「そんな先のことは判らない」

ハンフリー・ディフォレスト・ボガートHumphrey DeForest Bogart1899年12月25日(翌年1月23日に出生届) - 1957年1月14日)は、ニューヨーク出身のハリウッド映画俳優

第一次大戦に従軍した後、演劇の道に入り、映画にも出演する。「化石の森」では、ギャング役で人気を博した。1930年代はギャング映画を多く演じた。40代に入って、「マルタの瞳」、そして「カサブランカ」などで暴力的・反道徳的を売りものにするハードボイルド・スターの地位を不動のものにした。ボギースタイルと呼ばれた「ソフト帽にトレンチコート」はダンディズムの極致といわれ、あこがれの的となった。

後年は演技派としての実力も示し、1951年の「アフリカの女王」でアマデミー賞主演男優賞を受賞している。

亡くなった後でもボガードの人気は衰えず、40年後の1999年のアメリカの映画団体AFIの「映画スターベスト100」では、男優の1位に輝いている。

 ボガートは生涯で4度結婚している。1926年、舞台女優のヘレン・メンケルと結婚し、翌年に離婚。1928年、舞台女優のメアリー・フィリップスと再婚、1937年に離婚。1938年、共演したメイヨ・メソットと3度目の結婚、離婚。1945年、45歳で共演した20歳のローレン・バコールと4度目結婚し、ようやく落ち着き、長男、長女を授かっている。

ハンフリー・ボガードの映画の中のセリフで最も有名なのは、「そんな昔のことは忘れた」「そんな先のことは判らない」だろう。昨日も明日もない。自分には今日が、今があるだけだ。実にカッコいい。

日本の名女優・杉村春子「きのうも明日もないわ。今日をしっかり生きるだけ」と通じる。名脇役だったエッセイスト・沢村貞子も「昨日のことは忘れ、明日のことは心配しないで」と言っている。過去に拘泥しない、未来も考えない、そして今現在を真剣に生きる。そういう心構えは、ハードボイルドライフを送る人も、超高齢化社会を生きる人にとっても、ひとつの生きる指針だ。