「前向きな人」「続ける人」「遅咲きの人」「ひとすじの人」「きわめた人」「テーマ追い人」「みがく人」「気概の人」「健やかな人」「つくる人」「天寿の人」「スーパー・センテナリアン」。

2月刊行の著書のゲラのチェックと修正。「前向きな人」「続ける人」「遅咲きの人」「ひとすじの人」「きわめた人」「テーマ追い人」「みがく人」「気概の人」「健やかな人」「つくる人」「天寿の人」「スーパー・センテナリアン」。

目次の人名の後に職業を入れる。数字は最新に。参考文献はどうするか。西暦が基本。誤字。

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力丸さんに大学のパソコンのチェックをしてもらう。

昼食を一緒にとって、新プロジェクトについて説明。

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「名言との対話」1月27日。三船久蔵「押さば斜めに 引かば回れ」

三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年明治16年)4月21日 - 1965年昭和40年)1月27日)は、日本柔道家段位講道館柔道十段

仙台二中、早稲田大学予科、そして慶應義塾大学理財科中退し、 1903年講道館入門。159センチの短躯ながら、巨人を倒す妙技の持ち主だった。 1923年講道館指南役、1945年、62歳で最高三位の講道館柔道 10段。 1956年紫綬褒章受章、1961年文化功労者。主著『柔道回顧録』『道と術』など。

「理論の嘉納、実践の三船」といわれるほど、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践し「柔道の神様」とあがめられた。物理学や力学の研究にも 精力的に携わり、神業とさえ言われた「空気投げ(隅落とし)」を編み出す。相手が動きに移ろうとした瞬間、自分の重心を下げて相手を浮かし、 足も腰も使わずに空気のように投げ飛ばす、空前絶後の技である。国際柔道連盟決まり手66技中、 三船十段しか繰り出すことのできないと言われる幻の技だ。

入門から逝去の前年までの62年間、稽古を一度も休んだことはない三船は70歳で 「柔道の歌」を作詞している。作曲は山田耕作である。

不断の稽古に邪念なく 心は虚しく 身も軽しい 中心帰一のことわりを 忘れず励まん ひとすぢに これぞまことの わが柔道 わが柔道。百練千磨の功を積み 七転八起の妙を得ん 解脱の奥義を悟りなば 変応自在の球となる これぞまことの わが柔道 わが柔道。柔の道には国境(さかい)なく 和らぐ心に敵はなし 世界の友らと手を組みて 樹(た)てばや平和の理想郷 これぞまことの わが柔道 わが柔道。

講道館新館の2階を訪れたことがある。「資料室」の中に「殿堂」があり、三船はこの中で顕彰されている。その奥には柔道の父・加納治五郎を記念した「師範室」がある。75歳の時に、故郷の岩手県久慈市に三船十段記念館ができた。

 

73歳のときの、日本と外国人の高段位の猛者を相手とした稽古姿の映像をみた。仕掛けに対して柳に風と受けながし、次々とかわしていく。そして「空気投げ」、「大車」「横分(よこわかれ)」「球車(たまぐるま)」などで、簡単に大男たちを投げ飛ばす姿は圧巻だ。

「業は科学的研究の上に樹てる技術的修練なり」、「倒す、倒されるは、つまるところ力学である」、そして「柔道の根本は球である」という三船理論では「押さば引き、引かば押せ」という前後ではなく、「押さば斜めに 引かば回れ」という球の如き柔道である。この映像をみてそのことを納得した。三船久蔵のように、創造的態度で取り組まなければ、最高位の十段には達しないだろう。