日銀貨幣博物館ーー古銭収集家・田中啓文のライフワークから始まった物語

日銀金融研究所「貨幣博物館」。貨幣の歴史、貨幣の実物、貨幣の意味など、勉強になる博物館。高校生などの見学者もさかんにメモを取っていた。映像や、日銀の外観ツアーなどの催しもある。入館には手荷物検査がある、これは珍しい。入館は無料。

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この博物館は田中啓文(1884-1956年)という人物が独力で集めた10万点の資料がもとになっている。子どもの頃に小遣いとしてもらた寛永通宝一文銭などに興味を持ち、小さな古銭家となる。22歳、古銭収集家同人会の「東京古泉協会」に入会。34歳、東洋貨幣協会理事兼幹事に就任。36歳、会長。39歳、自宅内に東洋貨幣研究所「銭幣館」を開館。このコレクションは世界有数の東洋貨幣コレクションで、古貨幣だけでなく、日本の貨幣史、経済史、の研究のうえで貴重な文書や絵画、民俗資料などもあり、総数は10万点に及んでいる。66歳、貨幣研究雑誌「銭幣館」を創刊。

1944年、60歳の田中啓文は戦禍から守るためにコレクションを日本銀行へ寄贈する。結城豊太郎、渋澤敬三(1896-1963年)両総裁との交流があった。民俗研究家でもあった渋澤は「日銀に金融図書館と貨幣博物館を併設した」との夢を持っていた。

このコレクション受け入れと同時に、銭幣館の郡司勇夫(1910-1997年)を迎え入れと資料の整理・研究にあたらせた。戦後。GHQによる接収の対象になったとき、郡司は「文化財は自らの手で守り、生かすべきであると思う」と力説し守った。そして1972年から76年にかけて『図録 日本の貨幣』全11巻を刊行する。1985年、貨幣博物館が開館した。一個人のライフワークがついに中央銀行の博物館になっていくという夢のような物語だ。田中啓文という人の生涯はもっと知りたい。

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松方正義大蔵卿。「中央銀行は、経済に『お金』という血液を送る心臓のような存在である」。

後藤庄三郎。金細工・後藤家の職人として腕前が高く、家康から呼び出しを受けて、こう慶長小判をつくる。家康の天下統一の象徴となった。NHKドラマ「江戸を建てる」(原作は門井慶喜の後編では後藤庄三郎が取り上げられ、柄本佑が演じている。私はこの本を読み、このドラマもみた「江戸を建てる」。家康の器の大きさを知る。

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大学:松本先生と総合研究所の事業計画の相談。

 八木さんと聖蹟桜ケ丘の赤坂飯店で昼食を摂りながら、知研の来し方と今後について、2時間半、いろいろと話をする。

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「名言との対話」。石川達三「幸福は常に努力する生活の中にのみある」

石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年明治38年)7月2日 - 1985年昭和60年)1月31日)は、日本小説家

ブラジルでの農場体験をもとにした『蒼氓』により芥川賞受賞者第一号となった。次席が太宰治 代表作は『人間の壁』、『金環蝕』など。1969年、第17回菊池寛賞を受賞する。

なかなか人徳があったようで、小説執筆以外に、多くの要職を経験している。日本ペンクラブ第7代会長(1975年 - 1977年)。日本芸術院会員。日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、A・A作家会議東京大会会長などを歴任した。

 ペンクラブ会長時代には、「言論の自由には二つある。思想表現の自由と、猥褻表現の自由だ。思想表現の自由は譲れないが、猥褻表現の自由は譲ってもいい」とする「二つの自由」発言(1977年)で物議を醸し、五木寛之野坂昭如など当時の若手作家たちから突き上げられ、最終的には辞任に追い込まれている。

 私は大学時代に野望を抱く主人公が堕ちていく小説『青春の蹉跌』という話題作を読んだことがある。「蹉跌」は「つまずく」という意味だ。「挫折」である。主人公が弁護士を目指している青年であったことで、私と同じだと思って手に取った。学生運動、アメフト、司法試験、、恋愛と結婚を描いたベストセラーだ。その後、時折石川のエッセイを眺める機会もあったが、この人は成熟した人格と常識の備わった人という印象を持っていると思っていたら、石川の常識論を発見した。「常識は、過去における無数の非常識の試練を経て、その結論として出来上がったものであった。非常識は一日にしてできるが、生活上の常識は100年、1000年を経てようやく形成されたものである」。

石川達三という作家はいつも私の周辺に影のように存在している。以下、このブログを書き始めてからの記録からいくつか拾ってみよう。

北九州市小倉城の傍の松本清張記念館には面白い調査記事がその読書室に貼ってあった。毎日新聞の2004年10月26日の記事である。第58回読書世論調査の「好きな作家」(一人で5人挙げる)という結果が出ていた。芥川賞では、1位松本清張(22%)、2位遠藤周作(17%)、3位井上靖(13%)、4位石原慎太郎、5位田辺聖子、6位北杜夫、7位大江健三郎、8位村上龍、9位石川達三、10位柳美里直木賞では、1位司馬遼太郎(17%)、2位五木寛之、3位向田邦子芥川賞作家の中でも人気の高い小説家だった。(2005年12月28日)

文芸春秋10月臨時号を眺めていたら、白洲次郎のページに興味深いデータを見つけた。
1960年8月に軽井沢で行われた吉川英治夫妻誕生祝いゴルフ会のときの、11人の著名人のスコア表が貼ってあった。吉川英治はハンディ24、池島新平26、柴田錬三郎21、角川源義21、大岡昇平15、広岡知男15、、、、。シングル丹羽文雄は3人いて、丹羽文雄6、そして白洲次郎と並んで石川達三はハンディ3のローシングルプレイヤーだった。当日のスコアは、石川達三は38・42の80、白洲次郎は43・39の82だった。(2006年9月25日)

秋田市の市立中央図書館明徳館の石川達三記念室を訪問。趣味はゴルフ丹羽文雄とともにシングル・プレイヤーとして「文壇ではずば抜けた腕前」と言われた。(2007年4月29日)

山崎豊子「石川達三先生は、私がもっとも敬愛し、私淑した作家である。、、、作品を通して多くの弟子を育てられた稀有な作家であると思う」。(2015年9月28日)

以下、人生の叡智がこもったい石川達三の言葉から。

若い人たちはよく、『生き甲斐がない』と言います。しかしそれは当たり前です。孤立した人には生き甲斐はない。生き甲斐とは人間関係です」
「家庭のための努力を怠る女は、夫を愛することも浅いのだ。愛が努力を産み、努力が更に愛の深さを培う」
「人間同士の会話などというものは、大ていは半分本当で半分嘘だ」
「人生には本質的な不幸と怠惰による不幸と、二種類ある」
「人間というものは或る程度まではゆたかに暮らさなくてはならん。貧乏していると人間が汚くなる。人間が腐ってくる。下等なことを考えるようになる」
「結婚の理想は互いに相手を束縛することなしに、しかも緊密に結びついていることだ」

冒頭の言葉の前には以下がある。「幸福は決して怠惰の中にはない。安逸の中に幸福はない。それはただ平穏があり、『仕合せ』があるのであって、『幸福』という輝かしいものではない。平穏はやがて、平穏であるからつまらない時が来るし、仕合せは仕合せであるのがつまらない。という時が来る。幸福というものはそういうものではない」。

安逸、平穏、無事、怠惰、そういう生活の中には生き甲斐はない。「幸せって退屈よ」とのたまった女性を私も知っている。志を持って日々歩む過程こそが輝かしい幸福の正体なのだろう。