浅草「世界のカバン博物館」「新川柳作記念館」「駒形どぜう」。九段の文庫カフェ。小川町の神田和泉屋「酒っこ」

浅草。エース株式会社本社ビル。

・7階の世界のカバン博物館を見学。

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・8階の新川柳作記念館を見学。

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・昼食は「駒形どぜう」

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九段下の文庫カフェ。

・未来学研究会の打ち合わせ。橘川さん、環境省の石川さん、松本先生。

・多摩大ジェロントロジー研究会のメンバーと遭遇。

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小川町の神田和泉屋「酒っこ」。

・横田校長(日本酒の学校神田和泉屋学園)の立ち飲み「酒っこ」をアル高校9期の同期の加藤さんと訪問。

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・おかみさんにご挨拶。

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「名言との対話」2月5日。黒澤酉蔵「人が育たなければ、酪農が育つわけがない」

黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年明治18年)3月28日 - 1982年昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。享年96。

 衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(現在の雪印メグミルク)、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)の設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の、北海道開発の父"と呼ばれる。

若い頃、黒澤は足尾銅山事件で有名な田中正造の書生として薫陶を受けた。そして敗戦後に打ちのめされた日本の復興を何に求めるかを考える。デンマーク信者であった19歳年上の師の宇都宮仙太郎(中津市大幡村出身。雪印の創業者の一人)の教えもあり、北海道の寒地農業にはデンマークの興国の歴史に学ぶべしとの信念で行動を開始する。

昭和38年(1963年)12月25日発行の「札酪研会報」の「宇都宮精神を偲ぶ」には黒澤の「牛飼い、三つの美点」というエッセイが載っている。それによれば、北海道に渡った黒澤は、福沢諭吉の弟子であった宇都宮のもとを訪れる。宇都宮は牛を飼うことの良さを「役人に頭を下げなくてよい」「(牛が相手だから)嘘をいわなくてもやれる仕事だ」「国民の体位向上になる仕事だ」と言われ、感銘を受けてすぐさま弟子になる。そして実践躬行して範をたれた宇都宮仙太郎に影響を受ける。

「外で失ったものをうちで取り戻す」と呼びかけたデンマーク興国の父・グルンドヴィル。「農民は土地を耕す、国民高等学校はその農民を耕す」というとおり、興国を担う青年の人間学の教育の場としての国民高等学校を創設したクリスチャン・コール。内村鑑三が「彼は彼の国人が剣を以て失ったものを鋤を以て取り返さんとした」と評価する不毛の大地を緑化したダルガス。この3人の巨人を尊敬した黒澤は、1億人を擁する日本の食糧自給計画として、畜産の大増産計画を主柱とすべきだと考え、治国安民の国策は経済自立の根本である食糧の自給独立を目標として、日本農業の有畜農化革命を達成しようとする。誠実真摯な国民の勤労と協力によって豊かな生活と高い文化を持つ友愛平和の社会の建設が可能だと考えたのである。 

黒澤の愛した言葉をあげてみよう。「建土建民」。「三愛精神」(人を愛し、神を愛し、土を愛せ)。「反芻自戒」「知行合一」「油断大敵」「天命を聞け」「自厳他寛」「経国(国家経営)と済民(人民救済)」、、、。

田中正造の影響を受けて黒澤酉蔵の思想となった「建土建民」は、健やかな土地から生み出される健やかな食物によって健やかな生命が育まれるという意味だ。「健土健民」は黒澤が創立した現在の酪農学園大学実学教育の礎となっている。「人が育たなければ、酪農が育つわけがない」のだ。田中正造、宇都宮仙太郎という「仰ぎ見る師匠」によって、黒澤酉蔵という人物が生まれ、その人の影響が今日まで続いている。人が人に与える影響力の流れの存在とその大きさを改めて感じた。

参考:黒澤酉蔵『農業国デンマーク』(河出書房)