横尾忠則ーー嫌なことはしない、好きなことだけする、遊びに近い、だから忙しくなる。

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朝の散歩中に、カワセミを発見!

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NHKラジオ深夜便横尾忠則のインタビューから。以下、キーワードのメモ。

70歳で隠居して13年。嫌なことはしない、好きなことだけする、遊びに近い、だから忙しくなる。週刊誌の芸能スキャンダルに因果応報などの仏教の教えをみる。Y字路。故郷。呉服屋。独学。10代の記憶。養子。非主体性。他人任せ。流れに身をまかせてきた。若冲、広重。縁。病気は心身のアンバラから。ピカソとキリコ。ネコは理想。twitterで吐き出す、絵に似ている。すべて体と相談。画家は肉体を通して考えるから長寿。長生きは変化と新しい考えが生まれる。結婚は新しい自分の発見、カルチャーショック。運命。なりゆきの面白さ。

自分の主体性を捨て、成り行きに身を任せながら、しだいにあるものになっていく。こういう生き方は私にはとることはできないが、力を抜いた横尾忠則の言葉にはうそはない。嫌なことはしない、好きなことだけする、遊びに近い、だから忙しくなる。仕事と世間に振り回されないようになると、ヒマになるのではなく、かえって忙しくなるのだ。やりたいことがある人は、人生は短く感じるのだ。

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大学:スケジュール。3月分の本の注文。

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「名言との対話」2月20日中野好夫「由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる」

中野 好夫(なかの よしお、1903年明治36年)8月2日 - 1985年昭和60年)2月20日)は、日本の英文学者評論家

 2016年2月20日に以下の文章を書いた。「人間一期の大事に際して、案外頭のよさなどというものは役に立たぬ。人間大事の決断ということになれば、それははるかに知性以前のものである」。人は常に迷う。決められない。決断は難しい。何か指針はないだろうか。八分方がたうまくいく、このときにゴーサインを出すのは誰でもができる単なる判断に過ぎない。四分六分で分が悪い、五分五分で見通しがつかない、しかし自分が深く関われば成功の確率が六分にあがる。そのときにやると決めることを決断というのである。結局、組織の命運は、最終的には個人の決断に委ねられる。決断に責任を持つとは、失敗したら辞めるということではなく、失敗しないように自身が深く関与するとういことなのだ。2月20日に他界した中野好夫のこの言葉は重い。頭の良さでシュミレーションを疲弊するまで重ねることでは決して決断はできない。決断とは知性以前の不退転の覚悟の問題なのである。

 それから4年経った。以下を追加する。

第三高等学校を経て1926年東京帝大文学部英文学科卒業。1935年から東京帝大助教授。敗戦を機に社会評論を開始。1948年東大教授。1953年「大学教授では飯が食えん」と自主退官。1956年「文藝春秋」2月号に「もはや戦後ではない」を発表、この題名は翌年緒経済白書に取り上げられた。スタンフォード大学客員教授中央大学教授。1960年に沖縄資料センターを設立。1967年(昭和42年)に『シェイクスピアの面白さ』で毎日出版文化賞1974年(昭和49年)に『蘆花徳冨健次郎』(全3巻、1972年 - 1974年)で大佛次郎賞1978年(昭和53年)に琉球新報賞受賞。1982年(昭和57年)に朝日賞

人物に関する勉強をしていると、 自伝とエッセイに目がいく。自己描写と本音がよくわかるからだ。中野好夫エッセイ集「悪人礼賛」を読んだ。

「由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる」「ルソー以来のいわゆる近代主義的自己告白症は、私のもっとも不快とするものである」「遺書というものをなんにも書かないですませたい。、、絶対にまもってもらえないものと決まっているからである」「わたしはあの食通とやらいうものをあまり信じない」。「 精神的健康法:癪にさわったことはその場で言ってしまう。ここだけの話というのは絶対にしない」。骨の太い柔軟な人生への処し方が切れ味鋭く語られている。

「太平洋戦争の敗因は、、、大きな原因の一つは日本人の個人、殊に社会人としての個人があまりにも弱かったことであろう」「「自己の頭脳をもって思考しない」この国の社会」「ぼくは、敗戦とはいえ、食糧危機とはいえ、敗戦直後の精神的明るさ、おそらくは日本史はじまって以来のものではないかと思えたほどの明るさを考えていた」。自由主義者の面目がわかる。そして「、、となれば、、」という仮定法ではなく、直接法でこそ語られねばならぬとも言う。「誤解を与えたとすれば」という仮定法がはびこる社会への警鐘に聞こえる。

 「50歳。定年を11年残して東大教授を辞任する」「70歳。生活戦線の収縮である。、、義理を欠くことにしている」「人間死のあることは、なんという幸福か。ただ困るのは、程よく死ぬことが極端なまでに困難という一事である」。自分で自分の人生を差配しようとする意志を感じる死生観の表明だ。

掲げた「善意と純情」は、書名にもなった最初のエッセイ「悪人礼賛」の冒頭の一行である。善意と純情は始末が悪いとし、自分は偽善者として悪名が高いそうだと喜んでいる。そして、悪人と偽善者に幸あれ!と結んでいる。そういった逆説的な物言いには魅力がある。私には、中野好夫は「偽悪者」にようにみえる。 

悪人礼賛 ――中野好夫エッセイ集 (ちくま文庫)