文春砲。「六世 中村歌右衛門展」。米朝。

週刊文春」3月26日号に掲載された元NHK記者(森友学園への国有地売却問題事件を取材)による迫真の記事を興味深く読んだ。自死した近畿財務局職員・赤木俊夫氏の妻は真相解明を目的に佐川理財局長と国を提訴。

週刊文春 2020年3月26日号[雑誌]

以下、2018年3月7日に自死した赤木俊夫氏が残したA4で7枚の「手記」から、事実関係ではなく、個人の意見、感想などをピックアップしてみた。公務員としての矜持と誇りを持っていた人の、公文書の修正と差し替えを行ってしまった悔恨の告発だ。

  • 財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いている。
  • 詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられている、、、近畿財務局内で本件事業に携わる職員の誰もが虚偽答弁を承知し、違和感を持ち続けています。
  • 役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。
  • 本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。怖い無責任な組織です。
  • 刑事罰、懲戒処分を受けるべき者:佐川理財局長、、、、。

「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。、、、」

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今は、ほとんどの美術館、博物館は閉館している。その中で勇敢にも開館しているのは、世田谷文学館だ。「六世 中村歌右衛門展」をみてきた。

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「名言との対話」3月19日。桂米朝その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」

3代目米朝(かつら べいちょう、1925年大正14年)11月6日 - 2015年平成27年)3月19日)は、日本落語家

現代落語界を代表する一人であり、また落語研究家でもあった。第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興させた。古老の落語家の聞き取り調査を行って、「算段の平兵衛」、「風の神送り」などの古典を復活させた。その功績から「上方落語中興の祖」と言われた。落語界から柳家小さんに続き、1996年に2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2009年には演芸界初の文化勲章受章者となった。

ユーチューブで6つの落語を聴いてみた。再生回数が多い方から並べると、「本能寺」74万回、「持参金」38万回、「らくだ」34万回、「鹿政談」23万回、「厄払い」9万回、「替わり目」6.9万回だ。枕では、「相変わらず古はなしですが、、」が多い。「昔は顏がきれいだと役者に、まずければ噺家に、、」「上方落語にはサムライが出てこない、、」といった具合でスーッと引き込まれる名人芸だ。

この人には味のある名言が多いので、それを書き連ねることにしたい。

落語の国について。

  • 大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、一日一日が無事にすぎて、なんとか子や孫が育って、自分はとしよりになって、やがて死ぬんだ・・・それでいいというような芸です
  • 一人でやる芸で、衣装も大道具もメーキャップもなしで、それでいてドラマのような世界が描ける、それに魅力を感じたからです。私の描いた世界と、受け手の世界が一致する。そのときは冥利を感じます
  • 落語は現世肯定の芸であります
  • 落語を聞きなはれ。落語には生きていく方法がたくさん隠されています
  • 明治なら明治、江戸時代なら江戸時代へお客さんを案内してしまうんやからね。何もかも忘れて、こっちの世界へ入ってきてもらうようにするんやから、催眠術です、一種の
  • 落語とは、おしゃべりによって、お客さんを”違う世界”へご案内する芸であって、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客の想像力に頼って、頭のなかに作り出してもらう、ドラマである
  • 平凡な人間ではあるが、こんな人が町内にいたらみなが助かるとか、世の中はもっとよくなるだろう…と思われる人はたくさん落語国にいます。大きなことはのぞまない
  • 「今日は」「ああ、こっちへおはいり」というだけのやりとりでも、その家の大きさ、構造、昼か夜か、どっちが目上か、夏か冬か、職業年齢は・・・等によって「今日は」「ああ、こっちへおはいり」が、みなちがってくるわけです
名作落語について。
  • 落語の洗練されたものは、地の文が少ないほど良いとされています。つまり全篇対話で事が運ばれて、それでいて、地の説明があると同様にことが描かれねばなりません
  • 所謂、流行に対して、百年経っても名作は名作、その時その時で、様々な解釈はされても、やはり胸を打つに足る不変の価値をそなえたもの。すなわち不易というわけで

落語家について。

  • 芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性
  • 若手と、いいお客の両方を育てなくては、未来が暗いです
  • ええか、やっぱり最後は人間やで、人柄や。どんなに上手くなっても、どれだけ売れても、人間性やで。そやさかい、人間を磨いていかなあかんのや
  • 芸人は…好きな芸をやって一生送るもんやさかいに、むさぼってはいかん
  • 芸人はどんなにえらくなっても、つまりは遊民なのです。世の中の余裕、お余りにで生きているのです。
  • ある日、ポンと上がったりするもんです。けどじっとしててポンと上がるんやないんで、毎日足踏みだけはずっとしてなあかんのです
  • 芸人の弟子といえば、良い悪いを自分の頭で考える前に、修行を始めてしまったらええんです

こういった名言の中で、私には次の言葉が響いた。「その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」。芸の世界に生きる人へのメッセージだろうが、どの分野にもいえる気がする。そういえば、ある結婚式で相手方の来賓の人事担当重役から「人間誰しも欲目がありましてね」と、人事の難しさを聞いて同感したことを思い出した。自分を知ることは難事だ。卑下することはないが、やはり謙虚でありたいものだ。