『情報論ノート』

午前:『梅棹忠夫著作集』第14巻「情報と文明」の図解化。278ページまで。『情報論ノート』の「情報の創造と編集」「日本展示学会と展示学の発展」「展示学ことはじめ」「展示学の課題と方法」の図解化。

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以下、作成した図解をみながら文章化してみる。この仮図解をPPTで修正した図解に下記の文章を添えて完成となる。

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『情報の文明学』は源流、主流で、『情報論ノート』は傍流、下流、分流だ。

独創とはオリジナル情報の生産である。データの組み合わせかた、配列の仕方のことだ。それはデータ群に秩序を与える原理、情報群に統合原理を与えることである。

雑誌づくりでいうと情報生産は執筆者の役割だ。編集者はその情報生産の工業生産への橋渡しが役割である。編集者は、枠組みの指定という企画、原稿の取捨選択、配列、さし絵・カット・写真、表紙から編集後記まで、校正などをこなす。それは情報のアレンジメントだ。編集者は、黒子、伴走者、助産婦と呼ばれるように情報生産の幇助者である。その仕事は創造である。編集という業務は、新聞では「整理」、電波メディアでは「編成」と呼ばれている。

編集は分業化が進んでいる。レイアウトマン、ブックデザイナー、グラフィックデザイナー、校正などの新しい仕事が生まれている。編集とは、原情報の取捨選択、加工、配列を行うことである。編集者は情報産業の技師である。

編集という概念を広げてみよう。書籍の編集者は、誤字の訂正、語句の修正、活字の指定、版組の構成、紙の選択、造本、装丁という一連の創造的作業を行っている。映画監督は編集者であり、創造者だ。演劇の演出家、音楽の交響曲の指揮者、料理のシェフ。造形芸術では画家、彫刻家は素材の選択と配列を行っている。言語芸術の俳句、詩、散文。写真における選択と配列、音楽の編曲。生け花はまさにフラワーアレンジメントと呼ばれる。そしてジャンルの変換も芸術的創造だ。たとえば古典から文芸から映画、民話から戯曲からオペラ、謡曲から歌舞伎、電波媒体と印刷媒体の往復交流、古典から現代語への翻訳から音情報への変換など。

全情報過程は、生産ー処理ー伝達ー蓄積の流れで説明できる。生産とは情報の創造である。このイマジネーションをメディアに落とし込むには編集技術が必要だ。編集者は創造的技術者集団である。編集という概念は組織の企画、経営の問題にもつながっている。

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午後:知研の根岸幹事と南大沢で1時間ほど懇談。

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「名言との対話」4月1日。持永只仁「自分もいつかこんな楽しい美しい作品を」

 持永 只仁(もちなが ただひと、1919年3月3日 - 1999年4月1日)は、日本のアニメーション監督人形アニメーション作家。

芸術映画社でアニメーションの世界に入り、満州映画協会入社後、1945年の日本敗戦後も中国東北部に残留して中国名「方明」でアニメーション映画を製作し続け、中華人民共和国建国後は上海に移動して上海美術映画製作所の前身となるアニメスタジオの設立に携わり、後の中国動画界をリードする多くの人材を育てた。

1953年の帰国後、人形アニメーション映画の製作に関わり、人形映画製作所を率いて『ちびくろ・さんぼのとらたいじ』(1956年)などの名作を送り出した。

  持永の人形アニメーションの第一号の弟子となった6歳年下の川本喜八郎には、2013年にオープンした渋谷ヒカリエの8階の「川本喜八郎人形ギャラリー」があるが、「日本のアニメーションの黎明期に、持永先生のような指導者を得た事は、どれほど幸せなことだったか計り知れない」と語っている。

『アニメーションン 日中交流記 持永只仁自伝』(東方書店)を読むと、中国の弟子たちも持永に心酔していることがわかる。「厳しい敬業指針、私心のない人柄・品性と気高い国際主義精神」とその仕事ぶりを語っている。持永本人が弟子たちに語った言葉も記憶されている。「一つの埃でもアニメーションのスクリーン効果に影響する」。「どんなことがあっても、一人でもよいから何でも分かる人材を育てる必要があった」。

日本では「人形アニメの恩人」と呼ばれ、中国では「中国アニメ映画事業の基礎を築いた人」だった。日中両国のアニメ史上に残る人となった。日中両国における人形アニメーション創始者である持永只仁は、日本アニメーション協会名誉会員であり、中国にはその貢献を称えて「持永只仁賞」「持永只仁奨学金」などが存在している。

持永は中学3年生のときに、京都で「ベンガルの槍騎兵」や、ディズニーの抒情的なカラー短編「蓮池の赤ん坊たち」などのアメリア映画をみて感動する。「そうだ、僕はこのような映画を研究して、こんな作品をつくる仕事がしたい」と決心する。そして「自分もいつかこんな楽しい美しい作品を」という夢が少年の心に刻まれる。

2020年3月30日から始まったNHK連続テレビ小説「エール」の主人公も、小学校時代に触れた父が買ってきたレコードを聴いて感動し、音楽の長い道を歩むことになる。それが生涯で5000曲を作曲した古関裕而である。

いつ誰と出会うか。いつ何と出会うか。人生にける「出会い」の重要性は、古関雄而や持永只仁の例だけでなく、枚挙にいとまがない。夢を抱き、志を立てる。その先には豊かな稔が待っている。 今日の私たちが豊かなアニメの世界を堪能できるのは、持永只仁という開拓者のおかげでもある。感動が人生の道程を決める。

アニメーション日中交流記―持永只仁自伝