『梅棹忠夫著作集』第20巻「世界体験」を読了。緊急事態宣言下の今日の一日。

梅棹忠夫著作集』第20巻「世界体験」を読了。

 第一部アジア体験。第二部ヨーロッパ体験。第三部アメリカ体験。第四部オセアニア体験。体験、現地体験、原体験の記録だ。どの旅行についても日記や記録、写真を残しており、それを材料に著作集をまとめるにあたって書き下ろした文章もある。まったく手を抜くことなく、やり抜いている。この目が見えなくなってからの仕事ぶりに感心を通りこして感動する。

第20巻で特に興味深かったのは、「第五部エスペラント体験」と「第六部実戦・世界言語紀行」だ。

エスペラント体験」。言語帝国主義を忌避して「中立語」であるエスペラント語を大学院時代から学ぶ始めた梅棹は地球時代の言語として使い続け、世界中のエスペラントと交流をはかっていく。その交友録である「回想のエスペラント」も面白い。文化相対主義を奉ずる民族学者として、エスペラント語を切り口とした世界体験である。

「実戦・世界言語紀行」は、文字言語ではなく音声言語という視点から50年以上にわたって世界中の言葉を探検するストーリーだ。東北アジアと南海の島々、アジア大陸の奥ふかく、大陸の南淵にそって、アメリカのサバンナと砂漠のなかで、ヨーロッパをゆく、新世界とオセアニア、そして世界のなかの日本語、という流れで構成されている。言語を通して多種多様な文化をのぞいた体験談だ。記述からわかるのは、言語に対する基本的知識を前提に、体当たりで文化に挑む精神の強さだ。フィールドワークの醍醐味を味わった。 

梅棹忠夫著作集 (第20巻) 世界体験

梅棹忠夫著作集 (第20巻) 世界体験

 

 国立民族学博物館で、梅棹忠夫生誕100年を記念して「知的生産のフロンティア」展が開催されていたが、コロナ騒ぎで休止になっている。4月6日付けの日経新聞では「「知の巨人」の思考 今に」「個人アーカイブを残す意味」としいうタイトルで紹介されている。「梅棹忠夫アーカイブス」は知の巨人の思考の全体像に接近できる貴重なものだ。「著作集」「全集」にも、そういう意味があることを、「梅棹忠夫著作集」の読破中の私は強く感じている。

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緊急事態宣言下の今日の一日。

ブログ。公園を散歩。テレビ体操。朝食。YOUTUBEのヨガレッスン15分を2本。読書「梅棹忠夫著作集」第20巻「実戦・世界言語紀行」。電話連絡。ウオーキング。スシローで昼食・ミスタードーナッツクラウドファンディング関係の連絡。読書継続。風呂で読書完了。夕食。ZOOMで職業未来フェスミーティング。BS「男はつらいよ」。NHKスペシャル「新型コロナウイルス 瀬戸際の攻防 〜感染拡大阻止最前線からの報告〜」。

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「名言との対話」4月11日。島岡吉郎人間力野球」

島岡 吉郎(しまおか きちろう、1911年6月4日 - 1989年4月11日)は元明治大学硬式野球部監督

明治大学時代は応援団長。政治家志望であったが、明治中学の別府隆彦との出会いがあり、明治中学(高校)野球部監督になり、甲子園病にとりつかれ、3度の甲子園出場を果たす。請われて、1952年に明治大学野球部監督に就任。1952年から1989年まで37年間、明治大学野球部監督だった。東京六大学リーグ戦優勝15回は、1952年に監督として歴代1位。東京六大学リーグ戦優勝15回、全日本大学野球選手権大会優勝5回、明治神宮野球大会優勝2回、日本代表チームの監督も務め日米大学野球選手権大会優勝2回の記録を残した。

教え子には秋山登土井淳辻佳紀高田繁星野仙一鹿取義隆広沢克己福王昭仁プロ野球の名選手がいる。体罰もすごかったらしいが、優等生の高田繁(巨人)と熱血漢の星野仙一(中日)は、一度も殴られなかった。星野は「あれだけやったのだから」と語ってて精神が強化されたと感謝している。島岡はプロ野球に関与しなかった者として初めて競技者表彰での殿堂入りを果たしている。

島岡を支え続けた大渓弘文『今、ここを 生き抜く』(日刊ゲンダイ)を読んだ。島岡イズムが満載の本である。「人間力野球」を標榜、実践した島岡の言葉を探った。

24時間、学生と野球漬けになってウソのない人生を送りたい。技術、体力そして人間の心を磨いてくれるのはグラウンドである。このグラウンドを通して人間力を付けるのだ!。命がけで当れ” 誠意を尽くせ! 魂を込めろ!。練習(鍛錬)が本番、試合はレクレーションだ。人間力野球、その芯は誠心誠意。人間が土壇場に遭遇したときに、普段以上の力を発揮するその力こそが「人間力」。いい指導者とは「自分が自分のために最大限に研鑽を積むことができる人間を育てる」こと。野球をする前に人間を磨け!自分を磨け!。技術向上は鍛錬のなかで自ら編み出せ!。寒稽古と土用練習。欠点への挑戦が人間をつくる。辛いからと逃げれば、人生のほとんどは逃げ回ってばかりになってしまう。選手より、たとえ5分でも先に来て、5分でも後に帰る。選手より遅れてくることは絶対にしない、これが管理の第1歩です。前夜、どんなに遅くなっても、翌朝は選手よりたとえ5分でも早くグランドに出ています。、、、

この本には、島岡監督の言葉に「!」とうい強調マークがよくついている。今回NHKアーカイブスやYOUTUBEの映像をみたのだが、言葉というより気迫のこもった怒号だったから「!」はわかる。調布に明治大学の野球練習場があり、島岡球場と呼ばれていた。監督はここに住み込み、ほとんど家には帰らなかった。跡地は今は深大寺レジデンスというマンションになっているという。このマンションは私も見に行ったことがある。あそこが人間力養成の場所であったのか。

人間力」という言葉は広くかつ深い。島岡吉郎は「誠」といい、そのとおりの言動だった。そこに人がついていった。自分なりの「人間力」とは何かの結論を追いかけながら、日々、自らを鍛錬をしていこう。この「名言との対話」を書き続けるという修行も人間力の解明への旅であるともいえる。

「今、ここ」を生き抜く

「今、ここ」を生き抜く