「クラウドファンディング」の進行状況ーーー『図解コミュニケーション全集』第一巻PJCT。

クラウドファンディングの進行状況報告。

4月12日現在で、目標金額50万円に対し、支援者は26人で、31万2千5百円となった。

同世代を中心に、トライしてみたがなかなか手続きが進まないというクレームが多かったので、以下のように進み方を整理してPRしていこう。

・グーグルで「グリーンファンディング 久恒啓一」とひく。

久恒啓一『図解コミュニケーション全集』第一巻を選択。

・画面が開いたら、右上の「会員登録」から入る。(ここがポイント)

・いくつかのメニュー(500円、2000円、、、)から一つを選ぶ。

・決済は目標金額を達成したときに支払うことになる。

・登録してあるカードを持っていない場合は、コンビニで支払う方法を選択。 greenfunding.jp----------------

ヨガ2本。散歩。ウオーキング。ZOOMミーティング。

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「名言との対話」4月12日。桑沢洋子「自分が考えることを思う存分やるための、自分の研究所を持ちたいと思っています」

 桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、昭和時代に活躍したファッションデザイナー

家庭の事情で自立せざるを得なかった洋子は、1930年代から建築雑誌で仕事をする。「婦人画報」の編集部に転職し、「私のこれからの仕事は、服飾だ!」との確信を得る。1919年に建築家グロピウスによってワイマールに設立された、造形芸術の総合学校「バウハウス」の存在を知り、その影響を強く受ける。
機能性や合理性を追求したデザイン活動をすすめる中で、デザインの総合的な基礎教育と専門教育の重要さを痛感し、1954年には、彫刻の佐藤忠良舞台芸術朝倉摂、建築の清家清、社会学清水幾太郎など各界気鋭の教育者、芸術家、デザイナーたちの協力を得て、美術と建築の総合学校であるドイツのバウハウス思想を継承した日本初のデザインデザインの専門学校「桑沢デザイン研究所」を設立した。試行錯誤をおそれない、しなやかさの中にも強さを持った独特の教育方法で多くの人材を育て、卒業生たちは広い領域で活躍、その業績は高く評価されている。卒業生の日本を代表するデザイナー内田繁は所長もつとめデザイナー、クリエーターなどデザイン人材を育てている。

さらに高度な造形教育を追求する場として1966年には「東京造形大学」を設立し、初代学長、理事長を歴任した。著書に『ふだん着のデザイナー』(1957年、平凡社)、『桑澤洋子の服飾デザイン』(1977年、婦人画報社)などがある。1973年には長年の教育活動の功績により藍綬褒章授章。1977年4月12日逝去(享年66)。 

桑沢デザイン研究所という名前は、いろいろなところで聞くことが多い。その創業者の桑沢洋子の言葉を、沢良子『ふつうをつくる』(美術出版社)でさがす。

「自分が考えることを思う存分やるための、自分の研究所を持ちたいと思っています」「ふつうの人たちが、幸せに働くための衣服をつくろう!」

「美しい造形を観診した場合、その色彩を深く頭に刻み、どうしてそれが美しく感じられるかを考えてみること」というよいうに観察力が桑沢洋子の武器だった。

桑沢洋子は、31歳で桑沢服装工房を開店。「自分が考えることを思う存分やるための、自分の研究所を持ちたいと思っています」として41歳、桑沢デザイン研究所を開所する。それが56歳での東京造形大学の創立につながっていく。「自分の研究所を持とう」という方向を意識したことが、研究と生産を結びつける学校で、より良い生活のかたちを求める教育を行うという「デザイン教育」につながっていく。出発時点での方向性が重要だであることがわかる。

ふつうをつくる 暮らしのデザイナー 桑澤洋子の物語

ふつうをつくる 暮らしのデザイナー 桑澤洋子の物語

  • 作者:良子, 沢
  • 発売日: 2018/01/18
  • メディア: 単行本