寺島実郎さんの4月7日発刊の最新刊『日本再生の基軸』(岩波書店)を読了。新型コロナについても「おわりに」で言及。

寺島実郎さんの4月7日刊行の新著『日本再生の基軸』(岩波書店)を読了。 

日本再生の基軸――平成の晩鐘と令和の本質的課題

日本再生の基軸――平成の晩鐘と令和の本質的課題

  • 作者:寺島 実郎
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 単行本
 

平成の30年(1989年ー2019年)

  • 世界のGDPに占める日本の比重:1988年16%。2018年6%。2040年3%。2050年1.8%。アジアダイナミズム。中国は2010年日本を抜く。2018年2倍。2040年6倍。
  • 外交は偏狭なナショナリズム。内政は官邸主導という名の身内びいきの忖度政治。
  • ・1989年のインターネット元年以来のIT革命。日本はIT関連素材、電子部品、回線業、ネット通販など工業生産モデルの枠内で進化。データリズム、を支配するビッグデータを用いたプラットフォームを握る構想に欠けていた。

2020年現在:金融資本主義とデジタル専制による格差と貧困の増加。

  • アジアの世紀:現在は世界GDPの3分の1。2050年5割超。2100年3分の2。
  • 日本とは何か。武士層の儒教、民衆層の仏教、古層の神道の複合が魂の基軸。儒教精神の後退、葬式仏教、お祭り神道にみる宗教心の喪失。PHP思想(豊かさを通じた幸福と平和)に基づく経済主義も機能不全。心の再生をどうするか。
  • 令和日本の3つのメガトレンド:アジアダイナミズム。デジタル・トランスフォーメーション(DX)。高齢化社会工学(ジェロントロジー)。
  • 令和日本の基本テーマ:工業生産力モデルに立つ通商国家からの進化。
  • 日本の役割:外交は非核平和主義でアジア太平洋諸国の先頭に立つ。内政は成熟した民主国家として公正な社会モデルの実現、強みは技術を大切にする産業国家として人材教育に実績を挙げる。
  • 内田樹との対談:2005年までに経済大国の夢(アメリカを追い抜く)と政治大国(国連安保理事国)の夢が消えた。何をしていいかわからないままだ。長期的持続的な巨視的ビジョンがない。東アジア共同体が答え。日本、韓国、台湾、香港の合従。人口2億人、人口は独仏英と同じで、GDPは8割。象徴天皇制と政治的権威の二つの存在が統合が安定的統治機構となる。

新型コロナ:グローバル化の影の部分の噴出

感染症対応。BSL(バイオ・セーフティ・レベル)

・・BSL-1「生ワクチン、ヒトや動物に無害な病原体」

・・BSL-2「はしか、インフルエンザ・ウイルスなど」(コロナは致死率2%)

・・BSL-3[狂犬病ウイルス、結核菌、鳥インフルエンザ・ウイルスなど」

・・BSL-4[エボラウイル、ラッサウイルスなど」

  • 解決へ向けて「国内にBSL-4施設の建設」:国立感染研(東京都)、長崎大学に建設中。あと数カ所の準備が必要。ウイルス解明、感染診断、ワクチン・治療薬開発、専門家育成を担う。
  • 解決へ向けて「国際連帯税による財源確保」:グローバル化の恩恵をうけるヒトや企業が、リスクを制御するコストを応分に負担する。航空券連帯税、金融取引税、、。感染症問題、地球環境問題などグローバル化の影の問題への対応。新しい政策科学が必要。

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コメント。

寺島さんの「工業生産力モデルに立つ通商国家からの進化」を、現在の日本は工業社会から情報産業社会への転換に失敗しつつあると理解した。粗雑な工業生産モデルの緻密化に血道をあげている間に、情報産業社会の新しい段階に適応できなかったのだ。人類の自己実現の最終段階である情報産業社会はさらにさらに進展していくだろうから、GAFAを追いかけるだけでなく次の段階をにらんで準備をすることが必要だ。世界はプラットフォームの構築の競争の段階にあるが、脳・神経系産業の興隆によって、人間の5感が開発され、あらゆる産業が情報産業化するコンテンツ創造の段階には至っていない。情報産業社会の本番は今からだ。

高齢化社会については、参画がキーワードになる。人生100年時代に団塊の世代がどう向き合うかが大事なポイントになるだろう。日本人の先達たちがどのように高齢まで生きて情報を生産してきたかというモデルの発掘が大事になると思う。「遅咲き」などのテーマを追っているわたしの「人物記念館の旅」(900館超)や、「名言との対話」(1500人超)を役に立てたいと思う。

日本人の精神については人物記念館の旅や読書でわたしも追ってきた。二宮尊徳は「神道一さじ、儒仏半さじづつ」と言っている。新渡戸稲造は「日本は、仏教と神道儒教の混合体である」「仏教では慈悲心を学び、神道からは忍耐心を学び、儒教からは道徳心を学んだ。これが武士道である。これが日本の精神だ」と語っている。森嶋通夫は「皇室は神道、政府は儒教、庶民は仏教。3つの倫理体系の伸縮的な組みわせが日本の発展に寄与した」と説明している。

戦後日本が築いてきた平和主義、民主主義を大事に守り、育てていくことが重要だ。それがアジアや世界に向けての強いメッセージになる。「何をするかわからぬ男に任せゐる一国のことも職場のことも」というアララギ歌人・柴生田稔の歌を思い出している。

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ヨガ2本。

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「名言との対話」4月15日。三波春夫「お客様は神さまです」

 三波 春夫(みなみ はるお、1923年7月19日 - 2001年4月14日、本名・北詰 文司(きたづめ ぶんじ))は、浪曲師演歌歌手

新潟県長岡市塚野山で誕生。家業は本屋。13歳で東京に出る。米屋、製麺工場、築地の魚河岸で住込み奉公。16歳で日本浪曲学校に入学。東京・六本木の寄席、新歌舞伎座で初舞台。芸名は南篠文若。20歳で陸軍入隊。終戦ののち、22歳から26歳までロシアのハバロフスク、ナホトカで捕虜として抑留生活を送る。労働の合間に浪曲、演劇、歌を創り演じることで仲間を慰め、多くを学んだ。

帰国後、浪曲家として舞台に復帰。1957年、三波春夫として「チャンチキおけさ/船方さんよ」でデビュー。1960年、大阪新歌舞伎座で、芝居と歌謡ショーの大劇場一ヶ月公演を実施。翌年からは東京・歌舞伎座でも始め、1月は名古屋・御園座、3月は大阪・新歌舞伎座、8月は東京・歌舞伎座と、定例月にて20年連続で公演した。

大利根無情」「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」などがある。代表作として私の耳に残っているのは、1964年の東京オリンピックのときに、「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」である。

1994年発表の「平家物語」で日本レコード大賞企画賞受賞。1986年紫綬褒章、1994年勲四等旭日小綬章 受章。

笑顔がトレードマークで、雑念を払って澄み切った心で歌う。モットーは「常に新しい芸を、新しい作品を」だった。避けた煙草はたしなまず、空き時間は本を読んでいた。作詞、エッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっていた。永六輔は「歌う学者」と呼んでいた。

1977に「徹子の部屋」に出演した映像をYOUTUBEでみた。軍隊と戦後の捕虜時代の苦労話だったのだが、記憶力がよく、頭がいいという印象を持った。笑顔で明るい調子で明快に語る姿に感銘を受けた。2年間の軍隊生活と4年間の捕虜生活時代には、一人でやる浪曲よりも、みんなでつくりあげる芝居に惹かれている。「まったく知ない人を殺すんだから、戦争というのは実におろかなものだと思いました」と述懐している。それを明るい調子で語る。日本兵ソ連兵も最後は「おかあさーん」「ママー」と言って死んでいく。母の愛は神さまに近いとも語っている。

三波春夫の歌は、さまざまな歌番組で聴いたが、もっとも人口に膾炙している言葉は「お客様は神さまです」だろう。どういう意味で、どういう心境でそう言ったのだろうか。本人の口から聞いてみよう。

 「舞台に立つときは敬虔な心で神に手を合わせた時と同様に心を昇華しなければ、真実の芸はできない」「いかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、お客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない」「お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは『神』であると私は教えられている」 「自分はすべての人をお客様だと思っているわけではない。ステージを見に足を運んでくださる人だけがお客様だと思っている。そうした方々は『絶対者』だろう。ステージが〈天〉なら客席は〈地〉で、その天地の中にいる唯一の絶対者がお客様。そういう存在を〈神様〉というのだと自分は教わった」「お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。お客様の力に自然に神の姿を見るのです。お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではない」。

 同じ言葉でも人によって届き方が違うのだが、三波春夫の生涯や残した歌や言葉を眺めると、「お客様は神さまです」は、三波春夫の仕事に向かう態度そのものだと深く納得する。