小杉小二郎『巴里ゆらゆら』(日本経済出版社)

 

小杉小二郎『巴里ゆらゆら』(日本経済出版社)を読了。 

絵描きになりたいと本気で考えるようになった23歳あたりから還暦近くまでのエッセイをまとめた本である。松田君からもらった本だ。一度、本人に会っているので、興味深く読んだ。

 

巴里ゆらゆら

巴里ゆらゆら

 

第Ⅰ章「青春の墓標」から第Ⅵ「追憶の人、想いでの人」まで、家族をめぐる「生い立ち」と人生航路にあらわれる人々との出会いを記した本になっている。

「生い立ち」では、画家であった祖父の小杉放菴と、工業デザイナーの叔父の小杉二郎から影響を受けていることが記されている。

絵描きになろうとして、めぐりあった「生涯の師」は、画家の中川一政だ。中川一政に同行から始まったパリ生活では、多くの人々に導かれて20代後半にめぐりあった「人生の師」の画家・岩田栄吉である。

小杉小二郎は、中川から東洋を学び、岩田から西洋を学ぶという幸運に恵まれている。

 「私には帰るべき故郷が「あった」としてパリからささと帰国してしまった祖父・放菴と違って、小二郎は日本とフランスを行き来する生活を送っている。

「フランス文化と相撲を取っても互角の文化が日本にはある」「安住させてくれる日本と、そうはさせないフランスとで」「ルーブル法隆寺」、、、。

そして還暦まじかの年齢で、「私の遥か先を行く、放菴、一政、鹿之助、何故この人たちが生涯絵筆を離さなかったか、それを見極めるまでは私もまた、と思う」。

それから16年経った現在も絵を描き続けているから、まだ答えはでないのだろうか。

この本の最後の「「妙高の山路」では、孫である自分と祖父・放菴との思い出を語っている。その最初は「孫は今朝立ちて行くなり かわゆくて かわゆくて わがせんすべも無き」という放菴の歌から始まる。「仕事場に筆のすすまずある時は わが画をほむる人もほしけれ」「夕暮れの向ひの山をわれは見る 向かひの山もわれを見て居る」「絵のできの心にそまず うづくまる 老いの膝こそ冷えわたりたれ」。

そして最後は「上も無き驕奢と思え 山の湯の 窓一ぱいの十五夜の月」である。この歌を読んで、4つ下の俳人・飯田蛇笏が77歳の喜寿のときに詠んだ「誰彼もあらず 一天自尊の秋」という句を思いだした。ライバルはもはやいない、世界にただ一人の自分の道を行くだけである。世に屹立しようとする蛇笏の気概に感動する。放菴も同じ心境だったのだろう。小杉小二郎も同じ年齢になっているが、どういう心境になっているだろうか。

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ヨガ2本

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「名言との対話」4月21日。ジョン・メイナード・ケインズ「経済学はモラル・サイエンスであって自然科学ではない。経済学は内省と価値判断を用いるものだ」

ジョン・メイナード・ケインズJohn Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリス経済学者官僚貴族

イギリスの名門・イートン校を首席で卒業し、ケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学。大学卒業時には「僕は鉄道を管理したり、トラストを組織したりして見たい」と考えていた。若い頃は熱心な自由党支持者でもあった。現実の世界に関わっていこうとする実践家の姿勢は生涯一貫している。

ケインズは真善美の追求が人生の至高の目標とするムーアの倫理学に影響を受けている。そして「経済学の巨匠はもろもろの才能のまれにみる結合をもたなければならない」とし、経済学者は、ある程度、数学者、歴史家、政治家、哲学者でなければならないと書いている。事実、ケインズは学術雑誌の編集者、時事雑誌の会長、事業経営者、教授・会計官、国立美術館の理事、音楽美術奨励会の会長、伝記作家、古銭・古書の収集家でもあった。彼の言葉どおり、経済学の巨匠となった。

ケインズは42歳でソ連バレリーナのリディア・ロボヴァと結婚する。そのことによって付き合う人も変わり、人間の幅を広げていく。そして現実への嘲笑と批判という姿勢から、変革の思想をもとにした計画に目標を変えていく。

2020年現在、新型コロナウイルスの出現によって、1929年の株価大暴落によって始まった世界大恐慌が話題になっている。100年前の大恐慌はどのようなものであったか。

アメリカは1044億ドルであったGDPが4年後の1933年には560億ドルになり、個人所得は858億ドルから472憶ドルになり、生産も収入もほぼ半減した。イギリスも3分の2になった。世界貿易は3分の1に落ち込んだ。そして失業者が増大した。1929年のアメリカの失業率3%は1933年には25%と、4人に1人が失業した。景気回復したピークの1937年の好況絶頂時にも失業者は7人に1人だったから、傷は極めて大きかった。2020年の新型コロナによる不況は、10年前ほど前のリーマンショックを越えて、100年ぶりのこの世界大恐慌と比べ出されている。

節約と倹約は悪であり、政府の役割を大きく評価したケインズの経済学は、19世紀後半を代表するマーシャルのヴィクトリア時代の道徳観に反発し、自由放任という結論を批判した。そして1930年代の不況と失業という資本主義の病を克服し、世界に多くのケインジアンを生んでいる。

ケインズアダム・スミス国富論』、リカード経済学、マルクス経済学に比すべき、新しい経済学を打ち立てた。予定調和ではなく、政府による有効需要の創出による景気の制御を提言し、1929年の世界大恐慌以後のアメリカ、イギリスを始め、世界の経済政策を主導した。日本ではマルクス経済学(マル経)に対して、近代経済学(近経)と呼ばれている。近経は現実を理解し批判するだけでなく、現実を変えようとするのが特徴だ。

自然科学(ナチュラル・サイエンス)に対し、人文・社会科学をモラル・サイエンスと呼ぶ。人間を取り囲む自然を研究する科学に対し、人間の内面を探る人文科学、人間と社会との関係を考える社会科学は、倫理や道徳との関係が深くなる。経済学者によって、経済や社会に対する見方や結論がまったく違うことに驚くことが多い。経済学は科学ではないという人もいるくらいだ。研究者本人の倫理観・道徳観が多様だから結論も違ってくる。価値観が方向性を大きく左右する。だから巨人・ケインズは「真善美」の感覚を磨いていたのだろう。

コロナは、世界にどのような影響を与え、どのような経済学を生むだろうか。 今、私たちが直面している危機は、倫理、道徳、価値観などに関わる難問である。ポスト・コロナの世界を考えるには、人間の生き方、社会の在り方、何を大事にすべきか、を問うことから始めねばならない。次の時代は大きく様変わりしているだろう。

ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)

ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)