ZOOM授業、改良中! 社会人大学院生の初ZOOM授業の反応? ZOOMミーティング2本。

学部の初回のZOOMを使ったオンラインのリモート授業では、白版に板書する文字が固定式カメラから遠くてうまくいかなかった。本日、秘書の近藤さんからアドバイスをもらって、アイパッドミラーリングする技術を覚えた。手書きの図や文字が大きく、クリヤーに受講者に届くことになる。

また他の大学のZOOMのオンライン授業の様子を聞くと、顏がみえず、名前だけが見えて、真っ暗闇に向かってしゃべっているようだそうだ。それは不気味だろう。事前トレーニングががなく、いきなり始めるとそうなるだろうなあ。

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品川の大学院の「論文基礎講座」のオンライン講義。12名の社会人院生が聴講。以下感想。他にも留学生から感想が送られてきたがソフトの問題で開けなかった。

  • 論文を書く際に、「テーマができていても、内容が固まってなくて、破綻する例をたくさん見てきた。」という先生の、冒頭の発言が大変印象的であった。その解として、「全体を図として書く。」「部分と全体の関係、各構造同士の関係を図として書く。」 論文を書く、事前に図として書いてから、論文に取り掛かることで、ストーリーに破綻をきたさず、 論理的に書くことができると理解した。時間的にも効率化できる。私はまさに論文に取り掛かっているところなので、「全体のストーリー性」に四苦八苦している。大変参考になった。住宅選びのWorkだけでも、イメージが沸いた。又、先生の「インサイトコミュニケーション授業」もお世話になりたいと思う。

  • 本日は、論文演習有難うございました。「図解/論文」の内容で非常に有益な内容でした。今までは、メールでの文章が多く、どうしても「箇条書き」の頭しかなく、演習でも、「幸福」について書きましたが、「図解」と「文章」をいったりきたり考えながら書くことによって、自分の頭も整理できることが分かりました。実際に論文を書くことは、少し先になるかもしれませんが、明日から、ビジネス、又は、文章を読むときにしっかりと考えて身に付けたいと思います。
  • 本講義での所感を申し上げます。日々の学びについて本の全体像を掴むにも頭の中の図をアウトプットし、要約する練習をして行こうと思います。それにより、学びを体系的に理解する助けになると感じることができました。本講義で印象的であった、文章は簡単でも頭の中のイメージは違うというのは衝撃的で大きな学びでした。現在、実務においてもニュースリリース等の文章に関わる部署に異動したばかりでしたので、即実践をしてみようと思います。私には論文のテーマがぼんやりとありますが、まずは、頭の中を図解し、整理し項目を分けてみたいと思います。ご教授くださりありがとうございました。
  •  本日のご講義、ありがとうございました。秋に受講した講義でも、図にして考えてみるようにという指導がありました。ですが、いざやってみるとどうも上手くいかず、結局諦めたという経緯がありましたので、本日のご講義をとても楽しみにしておりました。あの時どうしてできなかったのか、やっとわかった気がします。「全体と部分」「構造と関係」等、考え抜く力が足りなかったのだと思います。考えを図にすることができなければすなわち、文章にしたとしても論理性の損なわれたものになってしまうのですね。また、逆に図から文章を起こしてみるというアプローチがありましたが、良い図を書くことは、ほぼ執筆と同じ行為と感じました。ひたすら作図にフォーカスした話をはじめてお聞きし、大変勉強になりました。ありがとうございました。
  • 図解・修士論文の書き方の感想について。図解は思考をかき立てし、記憶を一時的に保存し、思考を発散させ、思考を集中させるというメリークリスマスを持っています。また、物事脈絡を分かるようにすることができます。多くの知識と考えを結びつけ、効果的に分析し、最大限のイノベーションを実現することができると思います。つまり、図解をよく使うと、より良い論文を書くことができます。よろしくお願いいたします。(留学生)

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午前:大学で仕事

午後:ZOOMで自宅から大学の研究開発機構評議員会に多摩大総研所長として出席

夜:ZOOMでデジタルメディア研究所のミーティングに参加。最先端、最前線で動きている人たちなので、今日も刺激をうけた。(ヒント:オンライン出版パーティ。オビ。さすがに。新クラファン。、、、。)

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「名言との対話」5月11日。有光教一「「私の朝鮮考古学」のすべてが現代史である」

有光 教一(ありみつ きょういち、1907年11月10日 - 2011年5月11日)は、日本考古学者。専攻は朝鮮考古学。

大分県中津中学を卒業後、福岡高校を経て京都帝国大学文学部史学科入学し、考古学を専攻する。1931年東方文化研究所に入り、朝鮮総督府嘱託として朝鮮半島古墳発掘調査に従事する。1941年から終戦まで朝鮮総督府博物館主任をつとめる。1957年京大教授。1980年奈良県橿原考古学研究所長。1989年高麗美術館研究所所長となり、亡くなるまでの22年間にわたり、所長をつとめた。享年103のセンテナリアンである。

韓国初の国立博物館の開館や、朝鮮人の手による調査である慶州の発掘調査を行って大きな功績があったが、本人のその後の述懐によれば、「朝鮮考古学史上、画期的なこの発掘に調査員として参加できたことを誇りに思うが、私自身の未熟なため碌な指導ができなかったことに忸怩たるものがある。また、報告書作りに必要な作業を放り出して退去せざるをえなかったことは、考古学徒として不本意であり心残りであった。しかし発掘の実地指導が終われば、日本人である私には朝鮮に留まる理由がなくなったのである」と、博多港に引き揚げる。

その報告書は実に90歳を超えてから発刊している。また、単著では『朝鮮磨製石剣の研究』(京都大学文学部、1959年)、『朝鮮櫛目文土器の研究』(京都大学文学部、1962年)などがあり、また多数の共著や論文がある。

有光は様々な文化財保全や博物館・美術館の維持発展に尽力された「博物館人」あった。日韓の難しい時代をの中で、両国の人々からの信頼と敬愛を保ち続けたその生き方は、大きな価値がある。朝鮮考古学のパイオニア朝鮮考古学の祖と呼ばれるのも宣なるかな。

この人は103歳で亡くなるまで現役であった。年譜をみると、83歳で『有光教一著作集』全3冊を刊行し、99歳では『有光教一先生白寿記念叢」が高麗美術館から刊行されている。そして100歳では、「季刊三千里」の連載した文章をもとに、自伝『朝鮮考古学七十五年』を刊行していることに驚かざるを得ない。私の郷里の中津中学で学んだことに親しみをおぼえて調べてみたのだが、誠実な生き方が参考になった。

「私の朝鮮考古学」のすべてが現代史である。この言葉はどのように解すればいいのだろうか。考古学の意味は、古の歴史から学び、それを現代に活かすためだろう。考古学は、実は考現学なのだ。そう理解しよう。