「全集」が進行中:寺島実郎さんの推薦文。ゲラのチェック。

「全集」が進行中。

  • 寺島さんから推薦文をもらった。内容に感激。電話してお礼。最初に会ったのは1982年頃からだから、親交は38年になると確認。
  • 自宅で、全集のゲラをチェックし、修正をする。3分の2まで終えた。明日には終えたい。
  • クラウドファンディングは本日締め切り。目標額50万円で、53人から62万4千円が集まった。

・午前は大学でひと仕事

・夜は、デメケンのZOOM会議。グローバル、ICTの最前線、最先端の人たちの動きは刺激的だ。

・九州の母に電話。

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「名言との対話」5月25日。坊屋三郎「あんた外人だろ、英語でやってごらん」

坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田俊英、1910年3月28日 - 2002年5月25日)は、日本芸人俳優 享年92。

北海道夕張に生まれた坊屋は、中学時代、弓道では全国大会で個人優勝する腕前だった。住職にさせられるはずだったが、藤原義江に憧れた坊屋は、卒業すると歌手になろうと上京する。日大宗教科に入るが、やはり志は忘れない。レビューの演出家を目指すために、吉本興業の舞台に立ち、27歳で益田喜頓らと「あきれたぼういず」が発足する。エノケン去り、ロッパ去った浅草を救ったと自負する活躍だった。テーマ曲は「チョイと出ましたあきれたぼういず、暑さ寒さもちょいと吹き飛ばし、春夏秋冬明けても暮れても、歌いまくるがあきれたぼういず」だ。アメリカ興行を終えて、このグループは解散する。坊屋は映画界に入っていく。

 1974年には、松下電器のコマーシャルで一世を風靡した。外人と坊屋が「クイントリックス」というテレビの商品名を言い合うという趣向で、「英語でやってごらんよ」「なまってるよ」と指導するなど、カタカナ読みの坊屋が勝利するという企画だった。英語コンプレックスを逆手に取ったのだ。

アマゾンで手に入れた坊屋三郎『これはマジメな喜劇でス』(博美館出版。1990年刊)には、「坊屋三郎と楽しい一夜を」という小さな紙きれが挟まっていた。芸能生活55周年記念・傘寿・出版記念パーティ(上野精養軒)の誘いだ。出版記念パーティのやり方にはこういう手もあるのか。

「ホレた女よりも誰よりも浅草を愛してんだ」というように、坊屋のライフワークは浅草だった。坊屋は浅草の観音さまを中心に、年中行事、職人芸、食べ物をなどを撮影し、『江戸だ祭りだ浅草だ』というタイトルの映画を3年がかりで80歳で完成させている。

中学時代に弓道で鍛えた体は頑強で、趣味となったゴルフはハンディ8の腕前だった。晩年は長寿を逆手に取って「まだ生きてます。」という挨拶をツカミにしていた。

坊屋三郎を語るには、やはり「ナショナル・クイントリックス・パナカラーのテレビコマーシャル「クイントリックス」は欠かせない。爆発的な人気で全国のお茶の間が沸いた。当時61歳だった坊屋が、90歳で現役最高齢コメディアンとしてテレビに登場し、デープ・スペクターと同じセリフの掛け合いをやっている映像をみた。当時も笑ったが、今回も笑わせてもらった。このコマーシャルは第1回ビックリハウス賞を受賞した。30年後にも、人々の記憶にあるというから、坊屋三郎の代表作だろう。

晩年の坊屋のツカミは、「年はとっても坊屋でス」だった。この人の人生は、筋が通っている。