朝:ZOOM授業でグループワークが一歩進む。午後:立川北口のグリーンスプリングス見学。夜:ZOOMでの日本未来学会月例セミナー。

授業4回目のZOOM授業。本日のテーマは「私の大学生活、この1年」。グループワークをリモート授業でどううまくやるかがポイント。前回は4-5名に分けたので、今回は10名ほどにしてみた。司会者ををそのグループの年長者に指名しので、前回よりはスムーズにプレゼンと話し合いがうまくいったようだ。一つ前進。

  • グループワーク:学年が上の人が司会して場を回すのはいい。リーダーシップが重要だ。自分もグループを仕切りたい。進行がスムーズだった。仕切る人が重要だ。先生がオンライン講座のやり方を自ら学んで使ってくれえるのは有難い。学生にいわれたことをすぐに実行してくれてちゃんと見てくれているんだな。時間をかけるほどいい図ができる。スムーズ。先週の方が盛り上がった。司会が決まらなかった。初対面の人とZOOMで話すのは緊張する。次回も先輩中心に。司会者はいろいろな人に。
  • 図解:図は奥が深い。ウイルス問題を図であらわしたい、図は見る人が見たいところだけをみることができるのが素晴らしい。自分が理解できるように描き、次に相手にわかりやすく。内容が濃く、薄いものになった。内容が難しいものこそ図で描くといい。うまく描けた。先生の江戸時代の図はよく理解できた。自分のことは自分でしっかり理解していないと描けない。図でものごとを表現することに慣れてきた。年代ごとに出来事を書いて荒波線で表す人がいて面白かった。ミャンマーの大学と日本の大学は違う。アルバイトに没頭して学業がおろそかになっていた。図に起こすには準備が必要なことを痛感。図解表現に何度も挑戦したい。サークル、友人関係、勉強、生活を描いた。季節、時系列。細かい内容まで簡潔に描きたい。思い出をランキングにした。友達をつくりたいからこの授業が大事。マルが5個くらで表現すると自分にも相手にもわかりやすい。それぞれの描き方がバラバラで面白かった。個性豊かな図、月ごと、樹形図。他の人を参考にして新しい図を描きたい。歴史は図でよくわかる。図は考えさせる。図はイマジネーションを刺激する。
  • 質問・要望:どこから書き始めればよいのか。相手に伝えるコツを教えて欲しい。図解の可能性や凄さはよく分かったので描くコツを丁寧に教えて欲しい。テクニックを身に着けたい。前回の受講生アンケートの内容が面白かった、続けて欲しい。

立川北口のグリンスプリングスを見学。https://greensprings.jp/about/

ホテル、劇場、美術館、飲食店、人工滝、、、、。素晴らしい空間。よくつくったなあ。子どもたちが川遊びをしている風景がいい。

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朝日新聞から電話取材:梅棹忠夫の新書『知的生産の技術』についての最終取材。

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夜はZOOMによる日本未来学会の5月例会勉強会。

立命館大学の飯田豊准教授の「メディア論」を聞く。メディア・イベント。未来学会と生活学会。マクルーハン竹村健一大阪万博には知識人が関与。振り返るべき。コロナ。

2025年「いのち輝く未来社会のデザイン」。オルタナティブ企画。、、、

私の発言:万国博から万民博へ。民族と市民。民族紛争と草の根。

飯田さんの資料の中に、大阪万博に関与した知識人グループの写真があった。林雄二郎51歳、梅棹忠夫47歳、川添登41歳、加藤秀俊37歳、小松左京36歳。みな、若い!

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「名言との対話」5月29日。山際淳司「登場人物は年々変わっても。野球というゲームそのものは変わらない」

山際 淳司(やまぎわ じゅんじ【本名:犬塚 進(いぬづか すすむ)】、1948年7月29日 - 1995年5月29日)はノンフィクション作家小説家翻訳家。本名は犬塚進。

中央大学在学中に文筆活動を開始。1980年に発行された文藝春秋の『Sports Graphic Number』の創刊号に、山際淳司ペンネームで、『江夏の21球』というノンフィクションを執筆した。それが評判となりスポーツ・ノンフィクション作家としての地位を確立した。『江夏の21球』などを収録した作品集『スローカーブを、もう一球』で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞した。

江夏の21球』は話題になったから私も読んでいる。今回、ユーチューブで映像をみながら江夏自身の解説を聴いた。1979年日本シリーズ終戦の9回無死満塁で、抑えれば優勝の場面だ。三振。スクイズはずしで三塁走者アウト。三振。古葉広島が西本近鉄に勝った。そのときの江夏の頭の中と心の中は興味深い。衣笠の声かけは「お前しかいないんだから」「なにかあたら、おれもユニフォームを脱ぐよ」だった。江夏は勇気をもらう。江夏が語った「ピッチングはつながりです」は名言だと思う。1球、2球、、とピッチャーは自分なりのストーリーを持って球を投げるのである。

『野球雲の見える日』を読んだが、驚いたことに 引退試合は多摩市営一本杉球場だった。多摩大への通勤路にあるあの球場か。日本における最後のマウンドで観客は1万6千人。江夏は阪神、南海、広島、日ハム、西武と5つのチームで、206勝158敗193セーブ。奪三振2987.防御率2.49。「江夏豊・たった一人の引退式」。『Sports Graphic Number』の文芸春秋社が主催した。どの球団も参加しなかった。ビートたけしのチームのリリーフとして投げた。それは草野球だったのだ。

山際淳司は、野球関係だけでも著作が多い。 スローカーブを、もう一球』(角川書店, 1981年)。『阪神タイガースプロ野球グラフィティ』(新潮社, 1983年)。『ダグアウトの25人』(ベースボール・マガジン社, 1985年)。『ベースボール・スケッチブック:24のプロ野球物語』(講談社, 1985年)。『ルーキー:もう一つの清原和博物語』(毎日新聞社, 1987年)。『バットマンに栄冠を』(角川書店, 1988年)。『スタジアムで会おう』(朝日新聞社, 1992年)。『最後の夏:一九七三年巨人・阪神戦放浪記』(マガジンハウス, 1995年)。『山際淳司スポーツ・ノンフィクション傑作集成』(文藝春秋, 1995年)。その他、ゴルフ、ボブスレー、ボクシング、登山、、、などの著作や翻訳などもある。徹底的な取材と冷静な分析、そしてそれに裏打ちされた分かりやすい文章で定評があった。

 スポーツキャスターとしても山際は活躍する。ユーチューブでNHKの難組をみた。ハンサムで理知的な風貌だ。九州場所千秋楽の横綱曙に大関貴ノ花が勝った名勝負、甲子園決勝の佐賀西高の満塁ホームランなどを解説していた。はぎれのよい語り口である。

時間を見つけてはスポーツ、特に野球の現場を歩いた。自身でもスポーツ・フリークと書いている。スポーツには、ある時代の空気に中に冷凍保存されてしまったかのように、いつ思い出しても新鮮さを失わないという一面がある、という。その通りだ。

「登場人物は年々変わっても。野球というゲームそのものは変わらない」。山際淳司は通りすがりの通行人の役割だと意識していた。年譜をみると膨大な仕事をしていることに驚いた。46歳でガンで急逝する。あまりにも若い死である。私はその年あたりで、JALを辞め、宮城大、多摩大と職場を移っている。そういった年月は山際淳司にはなかったのか。同世代で団塊世代の山際が病を得ずにそのまま仕事をしていたら、日本のスポーツも違った風景になっていたであろうと惜しまれる。