週末は「全集」のゲラのチェック。息抜きに読書、出口治郎『還暦からの底力』ー「人(ヒト)・旅(タビ)・本(ホン)」

「全集」第一巻の2回目のゲラのチェック。560ページほどある。全体がみえてきたのと表紙のイメージが決まってきたので、細かい部分よりも、「全体の構造と部分同士の関係」に視点をおいてすすめる。

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飽きると本を読む。出口治郎『還暦からの底力」(講談社現代新書)を読了。

人生100年時代」を著者は、20歳から100歳までの80年間が大人として生きる期間とし、折り返し地点が60歳ととらえている。還暦から後半の40年が始まるというわけだ。出口は還暦からライフネット生命を起業し10年で成功させた。70歳の古稀から公募で選ばれて立命館アジア太平洋大学の学長に就任して2年経ったところ。意気軒高だ。 

 この本のキーワードは、「人・本・旅」だ。男たちの「飯・風呂・寝る」という生活からの脱却である。以下、ポイント。

・「飯・風呂・寝る」の低学歴社会から、「人・本・旅」の高学歴社会へ切り替えよう。

・「人・本・旅」の生活で若い友人、知人を増やしていくことで、同世代の死の喪失感を減らしていける。

・「人・本・旅」による自己投資で金を使うと、仕事のチャンスが増え、コンテンツが豊かになる。

・人間の考えは「人・本・旅」の累積で形成される。そこで得た知識を「タテ・ヨコ・算数」で整理し全体像をつかむ。タテは歴史、ヨコは地理、算数は数字、ファクト、ロジック。

・教養は=知識X考える力。「人・本・旅」で知識を得て、自分の頭で考える。

人に会い、旅をし、本を読む。「人(ヒト)・旅(タビ)・本(ホン)」とリズム感のある順番で意識することにしよう。コロナ生活は、人と旅が欠けている。本だけに頼る生活になるから苦しいのだ。

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 「名言との対話」6月6日。川崎千春「こんな素晴らしいものを、ぜひ日本の子どもたちにも見せたい」

川﨑 千春(かわさき ちはる、1903年明治36年4月5日1991年(平成3年)6月6日)は、日本の実業家。

京成電鉄代表取締役社長京成百貨店代表取締役社長を21年間つとめた。オリエンタルランド初代代表取締役社長。

谷津遊園に新設するバラ園のための視察で、1955年開業のカリフォルニアのディズニーランドをみて感激し、日本につくることを決意する。1958年、京成電鉄社長となる。1960年からオリエンタルランド創業社長。その後十数年にもわたり、ディズニー側との交渉に尽力した。

1978年にはオリエンタルランドの社長職を高橋政知に譲る。酒豪の高橋は、浦安沖を埋め立てて、ここに東洋一の遊園地を造るから漁業権の放棄をしてくれと、浦安の漁師たちと毎日酒を飲み続け、わずか半年で漁業権交渉を成立させる。二代目の高橋は「いくら金がかかってもいい。『本物』を造ってくれ。造る以上はロサンゼルスやフロリダのものに勝るものでなくてはいけない」との決意で進めていく。

1983年4月15日東京ディズニーランドが開園した。川崎がアメリカでディズニーランドに出会ってから、25年もの歳月がたっていた。オリエンタルランド相談役の川崎はに感激のあまり涙ぐんだという。

1983年の開園から、私もスポンサー企業の一つでもあったJALの関係で通ったし、子どもたちを連れて何度も通った。またJALを退職する直前の1996年には家族で1971年開業のシンデレラ城などがあるフロリダのディズニーワールドで、数日間を過ごし、圧倒的なつくり込みのファシリティと、ITに支えられたもてなしの仕組みに感激した。

川崎千春がアナハイムのディズニーランドを訪れていなかったら今の東京ディズニーはない。三井不動産の江戸英雄が高橋政知を、浦安の漁民たちとの交渉役にしなかったら今の東京ディズニーはない。高橋がディズニーとの交渉を断念していたら今の東京ディズニーはない。その場合は、舞浜には今とは全く違った風景が広がっていたであろう。

一人の描いた夢の大事業は一人ではできない。大型事業であれば一代では完成しない。「天・地・人」といわれるように、日本の上り坂の時代と東京郊外という絶妙な場所と、そし実現に向けて奔走する人が揃わなければ、このような大事業は日の目はみなかったはずだ。開園から半世紀になろうとする日本一、東洋一、いや世界に冠たる東京ディズニーが日本と日本人に与えた影響と効果ははかり知れない。

ウオルト・ディズニーは「リーダーシップというのは、何かについての強い確信や信念だ。、、ひとりの人間の信念や確信によって進むべき方向が決まられている」と語っている。川崎千春は、ディズニーのいう本物のリーダーだった。