感染症の歴史

人類の歴史はウィルスとの戦いの歴史である。今も、今後も続くから、共生・共存する道を歩くしかない。以下、感染症の歴史。

2020年の新型コロナウィルス(変異を重ねるウィルス)は致死率7%前後だが、感染力が極めて強いのが特徴。

地球温暖化:熱帯特有のデング熱の発生(日本)。シベリアの永久凍土の溶解による道未知のウィルス。

                  (月尾嘉男。「致知」2020年7月号より)

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大学:打ち合わせ。ZOOM授業の改善研究(アイパッド用のペンシル。イヤホンマイク)

夜:ZOOMでデメケン打ち合わせ。

YOUTUBEのイケハヤ大学の「電通」「ジョブ型雇用」。

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「名言との対話」6月8日。マリー・ローランサン「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」

マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランス女性画家彫刻家

お針子の母の私生児として生まれる。マリーローランサンは画塾で、ブラックやピカソと知り合、キュビスムの傾倒していく。
様々の視点からつかんだ分解されたものを、頭の中で組み立て再構成するという描き方がキュビスムだ。複数の視点、視点を一点に固定しない。立方体(キューブ)が積み重なっているように見えるのが特徴で、外縁の線が強く書かれている。ストイックで緊張感が漂う。

詩人美術評論家ギヨーム・アポリネールと知り合い恋仲になるが、30歳の時にドイツ人男爵と結婚する。第一次大戦前には、繊細でけぶるような色彩やリズミカルで優雅なフォルムを駆使して、愁いを含んだ瞳の少女を描いた。エコールド・パリと呼ばれた時代に、経済的にも自立した最初の女性画家の一人となった。

夫(後に離婚)との新婚旅行の間に第一次世界大戦が勃発し苦労が始まる。戦後のパリでは、優雅さと官能性を備えた美しい女性像は圧倒的な人気を博す。マリーは舞台芸術や衣装デザインなどの応用芸術でも高い評価を得て、40歳では時代の寵児となる。1920年代後半からは、色彩も豊かになり、華やかな作風になる。しかしパリの画壇から離れることになり、自分のスタイルをつくることができた。ゆるやかな曲線、丸みを帯びた形、柔らかく優しい色調。パステルカラー。輪郭を描かない手法。こういうものは今までなかったものであり、好評をもって世間に受け入れられる。

ローランサンは舞台美術、室内装飾、挿絵なども手掛け、人気画家となる。その特徴は「愛らしさ」の凝縮である。

テレビ朝日系列で放送中の黒柳徹子司会のトーク番組徹子の部屋」では、番組のセット1976年の第1回放送から1990年までは、マリーの作品の絵画をセットの一部に設置していた。

2015年の府中美術館で「マリー・ローランサン」展をみた。「三美神」「お城の生活」「接吻」が印象に残った。

マリー・ローランサン美術館は、高野将弘が蒐集したコレクションを中心に、画家の生誕百周年を記念して、長野県蓼科高原に設立され、2011年に閉館している。ホテルニューオータニ・ガーデンコートに、2017年に再度開館した、女性画家マリー・ロランサンの世界で唯一の専門美術館「マリー・ローランサン美術館」を私は2018年に訪問した。油彩、水彩、デッサン、版画、挿絵本その他、600点以上の作品を網羅した美術館で、写真や書簡なども多い。

マリーは日本人では、澤田美喜と48歳の時に会っている。また、19歳から33歳までの青春期を日本と海外の間を往復して過ごした堀口大學は、マリーと親交があり、詩人でもあったマリーの詩を堀口大學が「鎮静剤」というタイトルで次のように訳している。

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です よるべない女より もっと哀れなのは 死んだ女です 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です

マリーはバイセクシャルであった。美しいものに惹かれるたちだったから、あのパステルカラーの簡潔で華やかな、そして夢見るような少女像を描くことができたのだろうか。