夜1「教育ZOOM未来フェス」シンポジウムに登壇。夜2「ZOOMを使ったオンライン講座の開き方」講座を受講。

 19時から21時。教育ZOOM未来フェスのシンポジウムに登壇。橘川さんが主宰の教育現場での「体験と実感」を語り合う会だ。

次のような素晴らしいメンバーが登壇。参加者は50人ほど。一人5分の発表、ブレーク、全体での議論。

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・久米信行:iU情報経営イノベーション専門職大学教授。
・片岡 利允:軽井沢風越学園
・吉川牧人:静岡県掛川西高校ICT推進委員長。Apple Distinguished Educator
・為本吉彦:三菱総研主席研究員
・田原真人:Zoom革命代表
・吉田 和夫:一般社団法人教育デザイン研究所 代表理事・所長

・高野雅治:(株)ビットメディア代表
久恒啓一多摩大学特任教授
橘川幸夫多摩大学客員教授

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以下、キーワード。「フェイスブックですべて回答」「子どもたちの日常生活からの学び。ハプニング、脱線、チャレンジ」「地域課題。過程を大事にした探究」「シャワー型から水鉄砲型へ」「反転授業。デジタルファシリテータ。ブレークの録画。新しい組み合わせ。オンラインワークショップ。雑談」「コンテンツ。一人ZOOMで動画作成。副教材」「PtoP。個人放送局。ZOOMに飽き足らないソフト開発」「「リモート授業はフレンドリー。大学は必要か。一大構造改革。オンライン大学。講師中心。読み書きそろばんZOOM」

「編集者」「ベストプラクティスを学ぶ」「絵や図を描いている姿をうつす授業」「音声をテキストにかえる自動字幕。UDトーク。翻訳。ブラウザをたてAPIに組み込み。ゲリラ戦。議事録。ディープエム」

私は大学におけるZOOM授業の現場からの報告を行った。「多摩大ケース:スケジュール。方針。準備状況。学部授業6回の体験から。社会人大学院の授業体験から」。

それぞれ現場を持っている行動家たちの発言は重みがある。今、何が起こっているかがよくわかった。こういうシンポがたちどころにできるの、やはり「ZOOM革命」だ。準備をする過程で私のここ数か月のZOOM生活の総括ができてよかった。

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21時から22時半。「ZOOMを使ったオンライン講座の開き方」を受講。毎週火曜日の7月21日までの6回連続講座の初回。30人。7人の小グループでのチーム活動。ファシリテーター4人、運命チーム3人で彼らは、スイスのローザンヌ、高尾、高知、北九州、兵庫から。

事前学習「動画作成とシェア、コメント」。当日「シェアによる気付き、教訓、次の行動へ」「素直。全力。楽しむ」「スクールタクトとスラック」「体験学習と相互の学び」「序列化の罠からの脱却。適合の罠からの脱却。フィードバックの有効活用。コントロールを手放す」「スクールタクトの使い方」「スラック(ビジネスコラボレーション)」、、、。

私のチームは7人。沖縄、静岡、神戸、大阪、奈良、松本、八王子。「オーバーリアクション。本音。各地の話題」。

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「名言との対話」6月16日。ヘルムート・コール「ぼくは将来キリスト教民主同盟の党首になるつもりだ」

ヘルムート・ヨーゼフ・ミヒャエル・コールHelmut Josef Michael Kohl1930年4月3日 - 2017年6月16日)は、ドイツ(旧西ドイツ)の政治家

コールは戦後16年にわたって連邦首相を務めた(在任1982年 - 1998年)。冷戦終結の波に乗り、1990年に東西に分裂していたドイツの再統一を成し遂げた功績者である。

1989年にポーランドハンガリーで民主勢力が政権をにぎったとき、ソ連は介入しなかった。それをコールは共産主義崩壊の兆しとり、ドイツ再統一のチャンスだとみた。東ドイツからの逃亡者たちは、ハンガリーオーストリアを経由して、西ドイツに入ることができた。その2か月後の11月にベルリンの壁が崩壊した。そして悲願の東西ドイツが1990年に誕生する。ゴルバチョフ大統領との信頼関係を築いた、謙虚なリーダーであったコールはブラント首相は独ソ不行使条約、シュミット首相は大規模な独ソ経済協力条約を結び、それが統一の基盤となったと先輩たちを讃えている。

「私はアデナウアーの孫ようなものだ」と語るコールは、第二次大戦修了時は15歳であり、ナチスとは関係なかった。それは少しだけ遅く生まれた幸運だった。「ぼんくらコール」と「いわれたが、さまざまの幸運に恵まれた。しかし、それを自分の力のせいだと想い上がることはなく、静かな調子で国民に語りかけるリーダーだった。人事の名人でもあったコールは16年という長期政権をつとめている。

コールの名言をいくつか挙げてみよう。「それは古典的なジャーナリスト的主張ですな。それは正しい (richtig)が、真実(Wahrheit)ではない」「昨日の理想主義者は今日の現実主義者になる」「ドイツの統一とヨーロッパの統合は、メダルの両面のようなものである」 

ドイツの歴代首相のリストを眺めると長期政権の連続であることがわかる。アデナウアー14年。エアハルト3年、キージンガー3年、ブラント5年、シュミット8年、コール12年、シュレーダー7年、そして現在のメルケルは2005年から現在まで15年目の超長期政権だ。

コールが87歳で亡くなったとき、メルケル首相は「コール氏は偉大なドイツ人であり、偉大なヨーロッパ人だった」「彼は、ドイツ統一とヨーロッパ統合というドイツにとって、過去数十年最も重要だった2つの課題に懸命に取り組んだ」「私の人生にも決定的な影響を与えた」と讃えた。

日本の中曽根首相は「西側諸国が団結し、東西冷戦の終結とともに東西ドイツの統一が実現したことは、コール氏の指導力と判断、そして何よりその果断な行動力がもたらしたものだ」と述べている。

「ぼくは将来キリスト教民主同盟の党首になるつもりだ」とは、この組織に入ったときの17歳の発言である。ゆっくり、しっかりした足どりで、堅実な実質主義を貫いて、その立場に到達したとき、それ以上の東西ドイツの統合という大舞台を待っていたのである。そして、コールはその大舞台を成功させた。

「普通ならば3年、いや5年はかかったはずだ。だけど私は、いま断じて行えばドイツを統一できるチャンスだと腹を決めて、瞬間的に短時間でことを運んだ。イギリスは反対する、フランスも反対する。アメリカは日和見を決め込むだろう。それを押し切ってやるのがいまだ、私はそう決断してやったのだ」。このときだけは、自分の流儀を超えて、瞬間的な短時間でことを運んだのである。17歳の大志に対し、神はそれ以上の大いなる仕事をこの人物に与えたのである。