「ZOOM革命」講座の動画作成とフォトによる編集にチャレンジ。トリミング、BGM、テキストなど、いくつか技を覚えた。
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府中の八木さんの自宅を訪問。
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野田先生と電話。13日の週に訪問。
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「名言との対話」7月5日。池田弥三郎「五臓、その職を忘るる時」
池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日)は、日本の国文学者、民俗学者、随筆家。
銀座の天麩羅屋"天金"の次男として生まれる。慶応義塾大学文学部国文学科在学中から折口信夫の指導を受け、地方の民俗や芸能調査の旅をした。5年間の軍隊生活ののち、1947年から慶応義塾大学講師、1961年教授となり、定年退職。研究対象は日本文学、民俗学、芸能史などにわたる。折口信夫の学風を継承し、優れた業績をあげた。随筆、NHKの解説など、多趣味で多方面に活動の分野をもった。慶応退職後は、富山県の洗足学園魚津短大の教授となった。67歳で死去。
『私の食物誌』(岩波書店)を読んだ。有名だった粋人の日常と素顔がみえる作品だ。毎週6日間、800字で300の原稿を書き続けて完成した本である。食の民俗誌、暮らしの中の食物の記録であり、なかなか面白かった。毎日書き続けるということの凄みを感じたが、本人は楽しく書き綴ったそうだ。
「1月19日は復員記念日」。「ものを食べ合うといことは、同族になること」。「上の部に属するたべ物屋では、高い安いは言わぬことである。そして中の部以下のたべ物屋では、うまいまずいは言わぬことである」。「岡山よいとこ」。「クラスの女の子たちは、べんとうのふたでなかみをかくしかくしたべていた」。「生卵の食べ方」。「天竺浪人がふらりと江戸にやって来たから天麩羅」。「くだざさいな」。「おあいそ」。「かつおはたたきがいい」「夜鰹」。「どぜう」「江戸名物の第一はうなぎだけ」「テキとカツ」「箸が持てる、持てない」。たん「こと始めは12月8日、2月8日はこと納め」。「誕生日に忘年会」。「食物の通だと言われることはつらい」。
有名人のエピソードがよくでてくる。折口信夫「無類の食いしん坊」「どうせみんななしくずしに、たべ物にあたって死んでいくのさ」「お茶が好き」「アユが好き」「鍋を囲むのが好き」。福沢諭吉「食事中、お行儀が悪かった」。「啄木は食物の香りを歌った歌人である。味噌を煮る香。酢のかおり。葱の香」、、、。
このエッセイ集には「湯豆腐や。持薬の酒の一二杯」などの俳句や短歌、「初鰹りきんで食って蚊にくわれ」などの川柳が紹介されていて、味わいを深めている。
「五臓、その職を忘るる時」とは、白隠禅師が健康のありがたさを語ったものだそうだ。「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎、「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。白隠の「五臓」は内臓全体を言っているのだろう。深酒が胸に残らない、前日食べた物が腹にたまっていない。さらに頭痛がない、腰もだるくない、足がいたくない、、、など体全体も指すのかもしれない。内臓だけでなく、体のあらゆる部分の存在を忘れているとき、私たちは爽快な気分になる。このことは身体だけでなく、精神にもいえる。時間を忘れるとき、充実した時間を過ごしているのである。