書評:橘川幸夫『参加型社会宣言』ーー橘川幸夫は新型コロナである。

 

 橘川幸夫の最新作『参加型社会宣言』は、未来に参加しようとする人の必読書である。

参加型社会とは、自己表現社会であり、自己主張の時代をあらわす概念だろう。それは、日本社会だけでなく、世界中の200以上の国々や、3000をはるかに超える民族の自己主張がさまざまの軋轢を生じている状況を説明しているキーワードでもある。人類は一部の超大国や複数の地域大国によって秩序づけることは難しくなった。すでに全員参加型世界へ突入しているともみえる。

「参加」という概念は幅広く、ただ集まるだけの参集、観察主体になるという意味の参与、傍観者から脱皮し何らかの働きかけをする参加、そして場を取り仕切る主体となる参画というステージがある。それらを網羅した意味で、橘川は「参加」と言っているのであろう。

農業時代、工業時代、情報産業時代と、人類は進化を重ねてきた。生き死にがかかった農業時代、なんとか食えるようになった工業時代、そして生きがいを求める情報産業の時代が現出しつつある。人類は豊かさを求めてきた。その最終段階は、精神の豊かさを求める時代、脳の時代である。そこで求められるのは「企画」を描く力だ。

この本には40年にわたって追究してきた「参加」と「企画」が洗練された形で満載されている。長い年月にわたり変わらない問題意識、圧倒的な幅広い空間に及ぶ活動、そして問題解決の現場での深い体験などが相まって、思想書と言ってもよい書物に結実している。読者は淡々とした文章でありながら、ひたひたと押し寄せる迫力にはなかなか抗えないだろう。読者それぞれが抱えているテーマに響く刺激的な言葉が並んでおり、読後の行動に深い影響を与えるであろう。

橘川の発明した「未来フェス」というイベントは、老若男女の自己主張のオンパレードで、デコボコ、ゴツゴツ、バラバラな感じが面白く、あっという間に一日が終わってしまう。彼らが自分の現在と未来を語る躍動感は、日本社会の未来を信じたくなる魅力に満ちている。分析的で悲観的でまっとうらしく聞こえる未来論などは影が薄くなる。堕落したマスメディアが垂れ流す情報にはない、生き生きした日本人がこれほど多いのかと嬉しくなること請け合いだ。

大企業育ちで、社会性の獲得から出発し、悪戦苦闘してきた私からみると、ややアナーキーな方向にシフト気味の感じはあるが、橘川の時代を受け止める感覚は刮目すべき資質だ。作家は処女作に向かって成長する。橘川は「企画書」という最初の本の主題をわき目もふらず、追いかけてきて、もう40年近くになった。生涯一冊という深掘りの覚悟は爽やかだ。

私は毎日「名言との対話」というテーマで、その日の亡くなった人物について書いているのだが、7月13日は詩人の野口米次郎を書いた。彫刻家のイサム・ノグチの父でもあるこの人は49歳で刊行した詩集「山上に立つ」では、「五十に垂(なんな)んとして人生の頂上に起つと感じた」とし、「上るに路が無いもう一つの山を認めて大飛躍をなさんとす、、」と書いている。人生50年時代を意識した言葉であるが、彼の心意気を感じることができた。気迫あふれた二度目の人生は、それから20年以上あったのだ。

橘川は50歳で生前葬を営んだという話を聞いたが、野口米次郎と同じく、意識的には二度目の人生を生きている。物理的、生物的な年齢を意識してはいけないといことを私は、1000館近い「人物記念館の旅」で学んだ。偉人の多くは、いつも「これからだ」と肝に銘じる精神力で後代に残る仕事をしているのだ。

異色、異才、異端、異様という言葉も浮かぶ。同世代の人たちのなかでの橘川の特異感は際立っている。現代の偉人ならぬ、異人である。この異人が異人でなくなる社会や時代が、本当の意味で参加型社会であるかもしれない。

人は先人が時代のテーマに挑んでいる後ろ姿に感銘をおぼえ、自ら育っていくのである。そういう意味でいつまでも若い童顔のままに、時代を疾走してもらいたいと願う。橘川幸夫は新型コロナである。感染力が強い。しかしその影響はコロナ禍という「禍」ではなく、人々を巻き込む「渦」である。この渦に巻き込まれながら、並走していきたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

朝:ヨガ。マスクをつけて1時間。

午後:京王永山でN出版社の編集者との大型企画の打ち合わせ。次の企画も。

夜:21時から23時。ZOOM革命オンライン講座の5回目。

ーーーーーーーーーーー

「名言との対話」7月14日。森和夫「正義の味方でありたい」

森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - 2011年平成23年7月14日)は、日本の実業家東洋水産創業者。95歳で没。

 旅順の陸軍予備士官学校を経て、1939年のノモンハンで生き残ったのはわずか4パーセントという激戦に従軍した。ノモンハンで死んでいたと思えば、大抵のことには驚かなくなったし、どんな苦労も苦労のうちに入らなくなったと語っていた。

 森和夫が創業した東洋水産は、「やる気と誠意」を社是として、魚肉ハム・ソーセージの製造・販売、即席麺の製造・販売と事業を拡大し、「マルちゃんのカップうどんきつね」(現在の「マルちゃん赤いきつね」)が大ヒットし、よくテレビでみかけるなど、「マルちゃん」のブランドは即席めんの分野で定着している。私もこの「赤いきつね」の味は好きだ。

「商品は、精魂と愛情を込めてこそ育つ」「交際費をふんだんに使わなければモノが売れないような営業は、間違っています」

森和夫の波瀾万丈の人生に興味を持った経済小説高杉良が、乗り気でなかった本人を説得して『燃ゆるとき』と題した伝記的小説を書いている。森は財界活動も行わなかった。東洋水産の経営を退く際には「退職金が高過ぎる」として7分の1に減額させたというエピソードもある。

企業経営者としては珍しく「正義の味方」を標榜している。品質第一に商品の改良を進めた。それは、消費者に対する良心の表れでもあった。「お客様に、より良い商品やサービスをお届けし、社会に貢献する」ことを理念に事業を進めてきたという、東洋水産の現在のホームページの言葉には、創業の精神が引き継がれているのだと素直に信じたくなる。正義の味方、良心経営、こういった姿勢と生き方にに高杉良は惹かれたのだろうと納得する。