朝は学部授業(多摩)。午後は出版打ち合わせ(市ヶ谷)。夜は大学院授業(品川)。

朝:学部授業:「参加型社会宣言」との2週間。都知事選の公約図解の総括。パワーポイントでの図解の描き方。最終課題に説明。実習。

午後:市ヶ谷でP出版社の編集者らと打ち合わせ。勝見さんと久しぶり。来春に刊行。

夜:大学院授業:「参加型社会宣言」との2週間。本日のテーマは「日本文化」。和歌・能・歌舞伎・相撲・茶道。

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以下、授業後の書き込みから。

  • 久恒先生 本日はありがとうございました。気づいた点として■講義中も申し上げたが、先生のご友人の「出版記念会でのスピーチ」を拝聴して、「図で考えることによる、思考の広がり、思考のモーラ性、結びつける力」を感じた。具体的には「コロナの渦⇒関係性の渦へ」「最先端⇒最前線」と広がっている。一つの言葉が、図を描くことにより、広がりを持つようになる可能性を認識した。■日本の古典芸能の図解のパートでは、各々の「現在の状況」vs「過去の成り立ち」を図解で整理することで、その違いが鮮明に理解できた。文章では分かりずらい、というよりもほとんどわからない。それが図により、焙り出されてくる。だぶん、ビジネスにおいても、現状事業モデルの「変化」「差別化」は図解での比較が一番適していると考える。■尚、私が担当した「能」であるが、一度読んでも要点が分からず、図解することが使命と考えて初めてよく理解できた次第である。キーワードの抽出、不要なものの切り捨てによる図解化が書籍や論文の理解にも有益だと認識した。*ちなみに、日本橋の「水戯庵」という新しいスタイルのレストランで、「能・狂言」を鑑賞し、食事をできるので、何度か利用している。コロナが落ち着いたら又行ってみようと思った。
  • 本日もありがとうございました。・本日のワークについて。短時間にも関わらず、歌舞伎について色々な角度から知識を深めることができました。図解化することは、一点集中ではなく、関係性や様々な観点に意識が向くため、自然と理解を促進させる効果が生まれます。本日のワークを通じて改めて図解の力を感じることができました。最初に図解は固めれば旗艦船のようなもので、そこから派生してスピーチ、書評、動画など色々応用可能ということが分かりました。図によって関係性を考えたり1つの言葉を派生させていくことで、オリジナリティに繋がるとお話が印象に残っています。オリジナリティは今後ますます必要になると考えます。図解化により、オリジナルな切り口を見出せるよう今後も努力していきたいと思いました。
  • 本日の学び。今日は、日本の古典芸能について、それぞれのメンバーが様々な書き手による古典芸能の文章を図解にすることを行った。以前はどうやったら図にできるかということで頭がいっぱいだったが、何回も授業を続けているうちに、どうしたらもっとうまく表現できるか?という壁にぶつかるところまできた。とは言ってもまだまだ。先生は毎回、生徒のレベルに合わせて問題を出してくださる。今回は、図解に自分の知っていることや分からないことを調べて書き込むことを図解をするプラスアルファで課題として出してくださった。先生がおっしゃる、研究の大原則を自ら実践した回になった。まだ、自分の論文は図解にできる前段階の情報収集で、その取捨選択もできていないが、今日は図解で一人で考えることだけでなく、その議題について他者と話して自分の視野を広げるということも実践できた。一人でばかり悩まないで、たまには先輩に論文のことを連絡してみようと思った。本日も先生、ありがとうございました。
  • 本日は日本文化について図解しました。とても面白かったです。みんな分かりやすい図をかきいただき、大変勉強になりました。私の担当は相撲でした。文章によると、昔女相撲がいることが分かりました。でも、現在、女は土俵に入らないというルールがありまして、どうしてだろうかという疑問が出できました。後、相撲について歴史を詳しく調べたいです。感想:今回、図を提出する前に、三回書き直しました。その過程は自分の考えが整理されていると思います。文章の理解に役に立つと思います。そして、図解はいろいろなところに活用されることができることが分かりました。例えば、スピーチ、スケジュールなどです。私もほかのところにやってみたい。(中国人留学生)
  • 本日の学び。今日は、日本の茶道について、図解でこの文章を理解した。以前は全体像の理解はうまくできなかったので、何回練習したら、うまく表現できるポイントを捕まった。まった、先生がおっしゃった研究の原則としての自ら実践することによって、理論を作ったことも感銘した。他のクラスメイトとディスカッションしているうちに、視野を広げていて、想像つかない知識と日本文化の理解も深まってきた。本日も先生、皆さま、ありがとうございました。(中国人留学生)

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「名言との対話」7月17日。市川雷蔵「若い間、映画で稼いで、年を取ったら歌舞伎をやろうと思っているんです」

八代目 市川 雷蔵(いちかわ らいぞう、1931年昭和6年)8月29日 - 1969年昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優

1958年市川崑は『炎上』(三島由紀夫の小説『金閣寺』が原作)の主役に雷蔵を抜擢した。キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞などを受賞し、市川雷蔵はトップスターとなった。市川崑監督によれば、素顔はサラリーマン、銀行員のよう、、、、。めがねをかけた普段の写真を私もみたが、平凡な印象だった。ただ、台詞は全部覚えてくると監督は感心していた。

1963年に始まった『眠狂四郎』シリーズ(柴田錬三郎原作)は、雷蔵の晩年を代表するシリーズとなった。日本映画がもっとも充実した時代のスターであり、溝口健二衣笠貞之助市川崑山本薩夫という名監督と仕事をしている。

1954年から1969年までの15年で、「花の白虎隊」から「関の弥太っぺ」まで約160本の映画に主点している。毎年10本以上という計算だ。時代劇から現代劇までこなした。演じた人物を挙げてみると、平清盛月形半平太光源氏日蓮、弁天小僧、織田信長山田長政酒天童子安珍机龍之介、沓掛時次郎、釈迦、始皇帝眠狂四郎鞍馬天狗霧隠才蔵華岡青洲、、。足が弱かったので立ち回りに難があった。同志社大学相撲部へ通い四股を踏むなど様々な鍛錬を行ったがうまくいかなかったそうだ。

市川雷蔵とその時代』(徳間書店)という大部の書物をひも解くと、同時代の監督、俳優らの回顧談を楽しむことができる。要領がいい。つくり顏ができる。本当の役者。剣舞。天下一品の立ち姿。どんな演出にも応じることができた。、、ともに大映の2枚看板であった勝新太郎は「雷ちゃんは眠狂四郎をやる時にかぎり、鼻の下がちょっと長くなるのね。死相を出すというのかな」と語っている。優れた役者だったことがわかる。

私の子ども時代には、市川雷蔵はスターであり、映画もみているが、いつの間にか名前を聞かなくなった。37歳でガンで早逝していたのだ。死から5年後の1974年には、ファンクラブ「朗雷会」が発足し、現在も活動が続いている。「市川雷蔵映画祭」で主演作品を上映することが夏の恒例行事となっている。

 市川雷蔵は「歌舞伎は年を取ってからでないとだめだが、映画は年を取ったらだめ」といい、「若い間、映画で稼いで、年を取ったら歌舞伎をやろうと思っているんです」と語っている。もともとは歌舞伎役者だったこともあり、年をとったら歌舞伎に戻ろうという考えだったのだ。それはかなわなかったが、永遠の美男俳優のまま歴史にその姿をの残すことになった。

 

 

市川雷蔵とその時代

市川雷蔵とその時代