ヨガ教室。FD勉強会。オンライン読書会。

9時:ヨガ教室:8月から土曜日の男性教室に。

10時40分:FD勉強会:対面授業から面接授業へ。新しい次元の面接授業へ。出席率・集中力・提出率は上昇。内容は少し。臨場感をオンラインに。完全面接授業が前提。面接授業にニーズあり。楽する感覚でゆでがえる状態。教員の情熱が半端でなかった。死角はほとんどなし。予習復習をしっかり。オンライン授業をやり切った自信。面接授業をオンライン配信する覚悟。夏休み中もFDは継続。トップ。都内の小中高が基準。21%。文科省「面接授業。7割が希望」。アメリカ65%が面接授業を準備。併用の落とし穴。父兄。、、、、、。

20時:オンライン「未来フェス」読書会に参加。2時間。橘川さんの『参加型社会宣言』の読書会。テーマは「スポーツとソーシャル」。発表者:松栄秀士(パクトオフィス)、宮崎智宏(一本ゲタ)。田中陽子女子サッカー)。牧野克彦(アナウンサー)。中村ゆりか(女子マラソン)。おなかともや(サイレントボイス)。渡剛(アットホーム)。キーワード:場づくり。ロールモデルとの出会い。聴覚障碍者の速読力。エクスペディション。選手も観察者に。音の図書館。知り合い:橘川、田原、猪股、仁上、為本、玉城、石村、小柳、、。若い人たちの志は素晴らしく元気がでる。日本の未来がここにある。図話。

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「名言との対話」8月1日。山本素石会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」

山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト宗教家

各種学校を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始した釣り師である。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島韓国江原道まで彷徨した。

田辺聖子「すべってころんで」は、大阪の新興団地に住む中年夫婦の悲喜こもごもの日々を描いた作品だ。息子は学生運動、夫はツチノコ探検、妻は感傷旅行。人生の応援歌といえる「中年もの」の代表作で、モデルは素石である。この本は昭和40年代の謎の蛇、ツチノコブームの火付役となった
『山釣り夜話』を読んだ。山村紀行、怪異談、廃村紀行で、民俗学の系譜に連なる書き方だ。夜這いの聞き書き奥美濃夜話」も面白い。「ねずてん物語序説」「小森谷の一夜」「天狗襲来」、、。柳田国男の書物も出てくる。探検家の今西錦司もでてくる。

川釣りの中でも、最も源流部が舞台であり、最も釣りにくい釣りであり、最も美しくて最もおいしい渓魚であるイワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りを渓流釣りという。その先達が素石だ。

61歳で書いた「つりかげ」が傑作らしい。釣りの楽しみはどこにあるのか。素石は「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と語る。そしてその一瞬の快感を「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」と表現している。

JAL時代にサイパンの海で浜野安宏さんから釣りを教えてもらったことがある。釣り上げた時の感覚を思い出した。そして重量感のある命の輝きをずっしりと感じたこともよみがえった。

渓流釣りの中から、乱造されるダム建設によって荒廃していく川に危機感を持った素石は「いつの日か日本の川という川は、コンクリートと土砂で埋め立てられた巨大な階段に化す時がくるだろう」と警告している。そのとおりになってしまった。

「ここから川が見えるか。川をみたいんや」といううわごとが辞世となった。吉田茂が最後に言った「富士を見たい」を思いだした。山本素石は「釣り登って天に」至ったのであろう。興味深い人だ。詩情あふれる半生を述懐した「つりかげーわが渓わが人生」を注文した。

山釣り夜話 (山本素石の本)

山釣り夜話 (山本素石の本)