照ノ富士。由紀さおり。荻生徂徠。野村萬。井上靖。ドラッカー。志賀直哉。童門冬二。横田滋。

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今日の収穫(東京新聞文芸春秋致知

照ノ富士「自分の優勝額を見ていた。その写真が下りるまでに新しいものを飾るということが目標で、それができてよかった」

由紀さおり「50年間歌い続け、この先の自分が目指すものの一つとして、能舞台でのお芝居に挑戦し続けたいと思います」

「人の教えられたる理屈は皆つけやきばにて、用に立たぬもの也」

野村萬「芸の技は常に磨かなくてはいけませんが行き着くところは役者の人間性です」

井上靖「『わたしの城下町』みたいな歌を書いてみたいのです」

ドラッカー「自らをマネジメントするということは、一つの革命である」

志賀直哉「人間にとって一番大切な言葉を、小学校4年生の子供が理解できるような言葉で話すのが一番の名文」

童門冬二「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」

横田滋「これまでに1400回くらい講演したと思います」

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NHK聞き逃し配信で鹿島茂渋沢栄一 その思想と実践」の文化講演を聴く

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「名言との対話」8月4日。道上伯「心技体」

道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は日本柔道家である。

京都の武専から、旧制高知高校を出て、上海の東亜同文書院で柔道を教える。その後、ヨーロッパに渡る。身長173 cm体重75kgの道上は生涯無敗の柔道家であった。

誰よりも強く誰もが憧れる柔道家を育てるためには、スーパースターを作るのが早い。選ばれたのはオランダのヘーシンクだった。自転車、ランニング、フットボール、バーべル・ダンベル・エキスパンダーなどのウェイト・トレーニング、レスリング、水泳、などを取り入れた。ヘーシンクは、アルコールと煙草を口にしないという強い意志で、合理的で力学的な指導に従った。そして「私にはウイーク・ポイントがない」というまでになった。

1961年の世界選手権と1964年の東京オリンピックでオランダのヘーシンクは日本を破った。東京オリンピックの無差別級では、日本の神永はヘーシンクに判定負けした予選と敗者復活での一本での決勝と2度敗れた。このときの衝撃は中学生だった私にも強烈なものだった。

柔道は武道としての柔道から、ヨーロッパスタンダードのスポーツとしてのジュードーへと変化した。その流れに講道館を中心とする独善の日本柔道は敗れたのである。柔道の変質は、日本の柔道が国際的な発言権を喪失していく過程と軌を一にしている。

 「心技体」と言う言葉を最初に使ったのは道上伯である。「柔道の最終的な目的は、心技体の錬成を通じて、立派な人間になろうと努力することである。身体を鍛えて強くなろうとすれば、技術の錬成が欠かせない。技術を身につけようとすれば、苦しさに耐えて練習を積み重ねなければならない。苦しみに耐えてそれを続ければ精神力を強くする。このように心と身体と技を同時に鍛錬するのが、柔道というものだ、柔道は人間形成そのものなのだ」

「体」は体格ではなく、体力である。体重や力の強さに加えて、筋力の強靭さ、弾力、反射能力の総合を意味する。その体力が技術を100%生かすのだ。日本柔道は体格と腕力ではなく、ヘーシンクの体力に負けたのである。体力というものは意志の力で作りあげるものなのだ。それは立派な人間になろうとする人間形成の過程なのである。

ヘーシンクを育てた男

ヘーシンクを育てた男