本日(14日)の東京新聞に『図解コミュニケーション全集』の記事。夜は大学院の最終授業「SDGS」と「自民党憲法草案」。

本日の東京新聞朝刊に『全集』を大きく取り上げてもらった。

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夜は大学院の最終授業。本日のテーマは、「SDGS」の図解の発表と「自民党憲法草案」講義。以下、7回目の授業の感想。「インサイトコミュニケーション」全体の総括感想は明日まとめる。

〇本日の授業の感想:手書きだと自分の頭と対話ができ、自分なりに納得感が生まれることが印象に残っています。また、他の皆さまの図解を通しても勉強させて頂きました。例えば、文章の中でも図解したり、短く抜粋すること、二重の□にするなど工夫すること、具体的な数字を入れることなどが挙げられます。SDGsそのものについても、よく聞くワードであるため、重要であることの認識はしていたものの、これまで深く接していませんでした。本日のワークを通して、今までは字づらだけを追って何となく知ってるだけであったSDGsが一気に身近なワードになりました。SDGsのような広く抽象的な概念なワードは図解化により具体化しないと、真の意味が理解できないとも思いました。実際に手を動かすことの大切さを改めて実感したワークとなりました。

SDGsは、言葉ばかりが先行する中で、改めて内容を理解する機会を与えていただけて、本当に良かったと考える。少しは中身のある「SGDsおじさん」になれると思う。■その中で感じたのは、「SDGsが意図的にであろうが、幅広いレベル、ターゲット、解釈に対応するように作られている。」ことを再確認した。ということは「国、社会、又は地域、会社、個人」での解釈、目標が、重要となろう。■憲法改正については、「漠然と気になっていた自民党憲法草案」を明快に説明いただき、ありがたかった。「憲法は権力を縛るためのものである。」その軸をしっかり保つ必要があると考える。

今日は国連が掲げているSDGs日本国憲法改正の自民党草案についての学びを行った。一人ひとりの人間が最低限の人権や保障を持ちながら生きていくことができている日本は恵まれていると同時にだからこそ、今日のテーマの両方にも関心がなかったのだと思う。当たり前のように生きて、学びたいから大学院に行ける。これはとても幸せなことだと思った。そして日本ではあまりないが、世界が抱える貧困や差別の問題は根深く、結果として難しすぎる問題には誰も手をつけられないと言う悲しい事実もわかった。一方、権力を行使して新しい憲法を私利私欲のように書き換えることもできるのも理不尽だと感じた。

以下、中国からの留学生。

第7回の授業でSDGSについて自分が担当した部分を発表してもらいました。皆さんが描いた図が本当にうまくなると感じました。勉強になりました。皆さんと比べて、自分の不足を感じて、改善すべきことをいくつがあると思います。図の中で文字が長かったり、具体的な数字が使わなかったりするので、あまりイメージができません。理解したうえで、全体的な構成を考えることがとても重要です。

■今回SDGs目標の図解を通しては、長期目標立つだけで、実現しにくい部分が多いと感じられた。世界の状況が毎日変化しているので、状況に応じてふさわしい小さい且つ短期的な目標と長期の目標を組み合わせる必要があると思う。
また、情報化社会では、SDGs自民党などの組織が流される情報を冷静で処理する上で受け取る姿勢が必要ではないかと思う。

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「名言との対話」8月14日。石森延男「わたしは和人のひとりとして、少しでもその足跡を探りたいと思った」

石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者国語教育学者、教科書編集者。

北海道札幌市に、歌人で「われらが愛する北海道」の作詞者でもある石森和男の長男として生まれる。

東京高等師範学校卒。愛知県香川県で中学校教師ののち、1926年から大連の南満洲教科書編集部に勤務し、『国語読本』を編集。満州唱歌の制作にも深く関わった。1939年、文部省図書監修官となり、国民学校教科書を編纂、戦後、最後の国定教科書を編纂する。昭和女子大学教授をしながら国語教科書編纂を続けた。

1926年頃から児童文学の創作をし、日中戦争当時の満州国を舞台にした少年小説『咲出す少年群』(1939)で第3回新潮文学賞、北海道のアイヌを主人公とした『コタンの口笛』(1957)で未明文学賞産経児童出版文化賞、『バンのみやげ話』(1962)で第1回野間児童文芸賞受賞。 1981年には児童文学季刊雑誌『飛ぶ教室』の編集委員となり、同誌を創刊。日本児童文学学会初代会長。主要著作をまとめた『石森延男児童文学全集』全15巻がある。

 今回、石森延男『梨の花ーーマンロー先生とアイヌたち』(文芸春秋)を読んだ。

 マンロー先生はスコットランドエジンバラ生まれ。30歳で横浜に上陸し、日露戦争の最中に日本に帰化した。アイヌ民俗学的興味をそそられ、北海道の二風谷(ニブダニ)に住み、医者としてひたすらアイヌの流行病を治療し、生活改善に努力し、アイヌの教養を高めようとした人物で、世界的な考古学者、民俗学者である。ニブタニ・コタンの萱野茂から「マンロー」の名前を聞いた。萱野茂は1926年生まれのアイヌ文化」研究者で、二風谷アイヌ資料館を創設し、館長を務めた。アイヌ初の国会議員1994年から1998年まで参議院議員)になり、アイヌ文化振興法を成立させた人だ。昨年北海道に行ったとき、この資料館を訪ねようとしたが、果たせなかった。

「和人」のひとりとしてマンロー先生の足跡を探りたいと思てから3年かかって乏しい資料や関係者の取材でできあがった評伝小説である「梨の花」を書いた。マンロー先生のアイヌ人との交流が描かれている。マンローには『魂の存在』『先史時代の日本』『日本の貨幣』『アイヌ』などの著書がある。石森の書いた「梨の花」が上梓されていなければ、この人の存在は忘れ去られていたに違いない。伝記、評伝には人物発掘という意義もある。歴史空間の中で、偉かった人物の香りを嗅ぐことができる。そしてその声はエコーとなって響き続ける。二風谷アイヌ資料館や、最近できた国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間)を訪問したい。