大学院春学期「インサイトコミュニケーション」の受講生の総括の感想。

大学院春学期「インサイトコミュニケーション」の受講生の総括の感想。完全リモートの授業だったが、和気あいあいの雰囲気で私も楽しかった。皆さんに感謝したい。
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全体の授業を通して。今期、一番実践的であり実務にも役立つ授業となった。前年度受けられなかったこの授業を受けられたのも休職・休学に至った鬱が理由なので、鬱に感謝したい。大学院では好きな授業を選べる。だから好きなことをやる。この授業では「図解」を通して、世界を知る授業だ。それまで興味のなかったこと、知らなかったことについて自分なりに考え、図にしていくと言う作業を通して好意的関心を持てるようになった。自説を持てるようになり人とその話題について話ができるようにもなったと思う。先生が作ってくださる空気もとても受講しやすく、自分のことを棚に上げて指摘する・されることで相手のことを思った質問をしようと思えるようにもなった。とても楽しく、これからの自分のためにもなる授業でした。早く論文骨子を図解にできるよう、仮説立案から図解で書いていきます。先生、ありがとうございました

・〇春学期の授業を終えて。私はこの春学期に入学しましたが、この最初のタイミングで図解のスキルを学ぶことができ、大変有難かったと感じております。今後、業務はもちろん、論文執筆や普段の生活に至るまであらゆることに図解は役立つと思います。図解のメリットは多岐に渡ります。具体的には、最初に図解は固めれば、相関や結びつきはもちろん、派生してアイデアが閃くことや、オリジナリティも生まれます。また図解化は頭をフル回転で使用するため、深く考えざるを得ないことも挙げられます。そのため、一見遠回りに見えますが、結果的に短い時間で物事を理解することが可能になることも実感しました。このように、図解化のメリットはまだまだたくさんあると思いますが、今後、文章を書く前に図解化する習慣を身に付ければ、あらゆる面でメリットは大きいと思いました。本授業で学んだことを今後も実践し、活かしてまいりたいと思います。先生・皆さま、半年間大変ありがとうございました。

・■授業の影響で、「図解=全体を具体的に考える習慣」がわずかながら付いてきたように感じている。本日先生が「Mtg等の場での発言が変わってくる・・・…・」とあるが、そうありたい。■又、「家庭円満のために図を描いてテーマは同じ方向を向いて考える!」素晴らしい方法を身に着けたと思う。毎日実践する。ありがとうございました。

以下、中国人留学生。

・■全体の授業を通して、図解コミュニケーションへの理解を深まってきた。私なりの理解は図解コミュニケーションとは情報処理のスキルだと思っている。相手が流されている情報を図解して、分析、ロジカル、全体像を把握した上で、その情報を処理したことで、相手が伝えたいことを再認識することができる。ロジック検証でその情報と現実の客観性を分離また統合することもできだろう。また、自分が生産する情報も図解通して、ロジックを立て、構造化した上で相手を伝えたら、相手の情報→自分→自分の情報→相手 こういったような循環往復の中でコミュニケーションが生まれる。

・今回は最後の授業です。前を振り返ってみると、本当にたくさん勉強させていただきました。まず、図解するとき、キーワードを書き出し、因果関係性を考量し、全体の構成を考えながらまとめします。次、毎回の授業で違う話題をめぐって図解するのは、ともて面白いと思います。そして、毎回の講義で実践のたびに、自分の図解能力が上がるのを感じました。久恒先生、ありがとうございました!授業が終わっても、今後、図解は日頃で活用したいと思います。

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メンズ・ヨガ:今日から3人。

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「名言との対話」8月15日。加藤弁三郎「この世では何一つとして単独で存在するものはない。明らかに持ちつ、持たれつの、相互依存のものである」

加藤 辨(弁)三郎(かとう べんざぶろう、明治32年(1899年)8月10日 - 昭和58年(1983年)8月15日)は日本実業家

島根県出身。京都帝大卒業後、四方合名(現宝酒造)に入社。1937 年協和化学研究所を開設、1949 年協和醗酵工業を創設し社長、1959年会長。ストレプトマイシンの量産に成功し、発酵法によるL-グルタミン酸などを製造。84歳で死去。島根県出身。京都帝大卒。

加藤弁三郎には仏教者という一面があり、1954には在家仏教協会理事長にも就任している。終戦直後、協和発酵の社長に就任したとき、日本中大混乱の中で、何とか従業員を路頭に迷わせないようにしなければならないと、心の安定を求めて仏教を勉強し始める。少し関心のあった浄土真宗の『歎異抄』の教えが骨身にしみて感じられるようになる。

「私は青年の頃、宗教は科学を知らない未開の野蛮な人間の信じるもので、文明が開化し科学隆盛の時代には、何の役にも立たないものだと思っていた。その証拠に、宗教を信じないからといって罰が当たるわけでもないし、宗教などなくても人生をエンジョイすることはできると。しかし今になれば、それは浅はかな考えであったことに気づいている」

「幸運にも親鸞聖人の教え、とくに『歎異抄』に出会って、その魅力にとりつかれた。
そして今では自分自身の生活、あるいは企業経営者としての生き方のバックボーンにさせていただいている」

「仏教に関心のない人でも『歎異抄』を読めば、人間の愚かさに気づき、頭をたれて親鸞聖人の教えの通りに人生を渡るしかないと思えてくる」

「現代はまさに「火宅無常の世界」である。そんな時代だからこそ、私は多くの人に『歎異抄』を読んでもらい、生き方のバックボーンにしてもらいたいと思う」
さて、この歎異とはどういう意味か。親鸞の弟子の唯円が、師の言葉を記した書が『歎異抄』だが、それを正しく理解せずに間違った解釈をする者、つまり異端を嘆くという意味だ。

歎異抄」は宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書である。「善人なおもて往生をとぐ、、、」に代表されるように、日本人の宗教観、倫理観とは相いれない表現が多いと言われている。西田幾多郎司馬遼太郎吉本隆明遠藤周作等々、数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受けている。そして市井の人々の人生の指針となっている書である。

冒頭に紹介した言葉の後には、「経営者も自己中心的にならないで、つねに相手に対して合掌する気持ちにならなければならない」と続く。こういう心持で企業経営を行ったのである。企業は相互依存の関係の海に浮かんでいるし、社員も、顧客も、同じように不安定な存在である。加藤弁三郎が感謝を込めて、心の中で手を合わせて相手に合掌する姿が目に見えるようだ。『歎異抄』を読むことにしよう。