NHKBS1「独占告白 渡辺恒雄」

NHKBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄ー戦後政治はこうしてつくられた 昭和編」。

2019年11月22日からのロングインタビュー。前編は2020年4月26日、後編は5月20日放送。その再放送の後編をみた。93歳で現役の主筆。資料整理は自分で行う。そうしないとわからない。「終生一記者を貫く」が墓碑銘になる。前編も見なければならない。

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NHKBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄ー戦後政治はこうしてつくられた 昭和編」。「 読売新聞グループのトップ、渡辺恒雄氏(93)への独占インタビューが実現した。70年にわたって日本政治の実像を見つめ続けてきた渡辺氏。「昭和編」となる今回は、吉田茂政権から中曽根康弘政権に至るまで、その知られざる舞台裏が赤裸々に語られる。派閥の領袖たちの激しい権力闘争の虚実。日本外交の秘史。証言ドキュメントで戦後日本の歩みをたどる。インタビュアー・大越健介」。

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日本テレビの氏家斎一郎の自伝を読んだとき、盟友であった渡辺恒雄のことを興味を持って読み進めたことがある。

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根岸さんと南大沢で昼食:新しい仕事のこと。知研のこと。本のプロジェクトのこと。

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 今日の収穫。

 智恵とは叡智(庶民の智恵、生活の智恵)と知性(理性的な知の働き)を含んでいる。智恵とは物事どうしの関係を判断したり、大小軽重を弁別したりする総合的な能力である(福沢諭吉「文明論の概略」)。直観と論理。関係の判断。大小軽重の弁別。総合。全体知、、、、、

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「名言との対話」8月29日。竹鶴政孝「頭ニハイラヌ、ヤケダ、イヤイヤ辛抱セヨ」

竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本実業家ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。

 ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる。

 『ウイスキー一筋にいきてきた男。竹鶴政孝』(マガジンハウス)を読んだ。

 つくり酒屋の三男。大阪高等工業学校醸造科を中退し摂津酒造におしかけ入社。社長からウイスキーの本場であるスコットランドで勉強してきて欲しいと言われる。現地では蒸留所での実習に明け暮れる。

スコットランドで恋人となり、妻となったリタは「日本で本物ウイスキーをつくる」政孝の夢を手伝いたいと一緒に日本に戻る。 その後のことは、2014年度NHK連続テレビ小説竹鶴政孝夫妻をモデルとした「マッサン」を私もみていたらからよくわかる。この番組には、影響を与えたサントリー創業者の鳥井信治郎も鴨居欣次郎役で出ている。「ウイスキーの仕事は私にとっては恋人のようなものである。恋している相手のためなら、どんな苦労でも苦労とは感じない」。竹鶴は二人の恋人を持っていたのだ。

 「一人でも多くの日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい」と志した竹鶴は、大日本果汁株式会社を立ち上げ、果汁生産で時間を稼ぎ、本丸のウイスキーづくりに邁進し、ついに出荷する日を迎える。日と果の頭の文字を取って、カタカナのニッカウヰスキー命名した。蒸留所は余市、次に宮城峡に設置している。北海道の余市は、清冽な水と新鮮な空気、豊富なビートが採れる寒冷な土地だ。日本のハイランド。余市市はリタ没後27年後のリタの故郷と姉妹都市になっている。JR作並駅から徒歩25分の仙台・宮城峡は、スコットランドのローランド地方に似た気候風土である。

竹鶴政孝・リタの物語はウイスキー誕生の物語だが、酒づくりにはそれぞれドラマがある。そのドラマにはかならず、人がいる。山梨のサントリーのワインづくり、日本全国各地の日本酒づくり、最近の例でいうと山口の「獺祭」誕生の物語、そして焼酎づくり、例えば大分の「いいちこ」、それぞれドラマがあることは、私も旅をしながら実感している。

竹鶴政孝は、スコットランドの3年間で、現地で学んだことは克明に2冊のノート(竹鶴ノート)に記し、図式し、イラストも用いた 。それから50年後の1962年に訪日したヒューム英国首相は「50年前、頭の良い日本の青年がやってきて一本の万年筆とノートで英国のウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」とユーモアを交えながら挨拶をしている。ウイスキーの製造法は門外不出だったのだ。その「竹鶴ノート」の余白には「頭ニハイラヌ、ヤケダ、イヤイヤ辛抱セヨ」とあった。どのような分野にも先駆者、創業者がいる。どの物語も心を打つ。