「久恒啓一の図解塾」を準備中。

久恒啓一の図解塾:16名集まった。クラファン支援者。note申し込み者。

受講生:垣内武。中川たかあき。土谷尚子。津田ひろし。柳生忠勝。石田明水。鈴木章子。近藤千恵子。矢口梓。都築功。猪俣範一。渡辺幸弘。根岸昌。前田真人。久米信行。橘川幸夫

入門編第1期は、9月9日より2ヶ月開講。fBグループを作成し、交流を図ることにしたい。

全体と部分、構造と関係を鳥瞰できる「図解」は文章地獄と箇条書き信仰で汚染された世界を一新する基本ソフト(OS)です。図解という新しい武器で理解力・企画力・伝達力を磨き、世界を軽やかに疾走しよう!。毎回、目からウロコの講義を展開します。

1・講義はZoomで行う。2・受講生:noteの有料マガジン「久恒啓一の図解塾」の会員登録。久恒啓一の図解塾https://note.com/metakit/m/mf7154ea1785b

ーーーーーーーーーーー

大学:事務作業

電話:日経の中沢さん。民博の三原さん。知研の福島さん。デメケンの橘川さん。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月6日死去。9月7日を探す。

「名言との対話」9月7日。高見敏弘「人の命と、それを支える食べ物を大切にしましょう」

「人の命と、それを支える食べ物を大切にしましょう」。 「人の
「人の命と、それを支える食べ物を大切にしましょう」。
「人の命と、それを支える食べ物を大切にしましょう」。

高見敏弘(1926年9月30日ー2018年9月6日)は、アジアの農村指導者の育成者。

九州からの満州移民として、旧満州の撫順に生まれる。10歳の頃、貧困のため一家で京都府北部に移住。小学校卒業と同時に京都の禅寺に預けられ、修行をしながら旧制中学校に通う。第二次世界大戦の末期に、約3ヶ月間旧海軍電波学校に学び、敗戦とともに舞鶴の家に帰る。数年に渡り行商、塩焚き、港湾労働、日雇労働等を続け、奇縁に恵まれて米国人宣教師のコック兼手伝いとなる。

1951年秋、日本基督教団甲東教会(西宮市)で洗礼を受け、翌年秋、機会に恵まれて米国ネブラスカ州ドーン大学に留学、その後米国コネチカット大学神学院、エール大学神学部等で学び神学博士。帰国後、牧師となる。1962年に結婚し、二男一女を授かる。

1962年よりバングラデシュなど途上国を中心とする「食」の課題に取り組む農村リ-ダ-育成の仕事に携わり、1973年に栃木県西那須野町にアジア学・アジア農村指導者養成専門学校を院を創設し、発展途上国の農村指導者の養成にあたる。学校長および理事長に就任、名誉学院長。いのちを支える食べものをつくろう。土と食べものにこだわり続けた。アジア諸国の農業リーダー育成に力を注ぎ、50カ国以上、1400名もの卒業生を世に送り出した。

NGO(非政府組織)活動推進センター理事長もつとめた。1994年吉川英治文化賞。1996年マグサイサイ賞。著作に「土とともに生きる」がある。

 「農村リーダーを育成しよう」?

「アジア学院の描くリーダーのイメージは、自らの自由な意思で、社会の基盤である草の根の人々と共に汗を流して、いのちを支える食べ物を生産し、それを公正に分かち合うために、今具体的に働く人である。すべての人々、すべてのものが、それぞれの持ち味を互いに生かし、その可能性、秘められた霊性をできるだけ伸ばすよう不断の努力をする、生き生きとした社会を作るのにかかすことのできない人たちである」。

経歴からわかるように波乱万丈の前半生を終えて、アジア学院を創設したのは47歳だった。それから40数年の間、土とともに生き、食べ物をつくり、命を育んだ。高見敏弘の91年の生涯はまことに尊い

ーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」9月7日。庄司浅水「本のない人生ほど寂しいものはない」

庄司 浅水(しょうじ せんすい、1903年11月10日 - 1991年9月7日)は、日本ノンフィクション作家書誌学研究家

ミズノプリンティングミュージアム名誉館長。日本出版学会日本ペンクラブ、グロリアクラブ、各会員。書物研究の傍ら、世界の奇談を紹介した。

宮城県仙台市出身。三田英学校卒業。1925年、南葵音楽文庫に勤務。1929年実質的な処女作「書籍装釘の歴史と実際」を刊行。1930年、装釘同好会を結成。1931年雑誌「書物展望」を創刊。また、書誌出版を志してブックドム社を設立。「書物の敵」「書物の話」「典籍随筆 蠧魚無駄話」といった自著や徳富蘇峰「愛書五十年」などを出版。また雑誌「書物趣味」を主宰した。1939年共同印刷総務部に籍を置き、社内報やPR誌「いんさつ」の編集及び渉外・広報を担当。1944年凸版印刷に転じて勤労課長。1945年3月の本社罹災後は郷里に近い宮城県古川町の兵器部品製造工場の庶務課長となり敗戦を迎えた。戦後は板橋工場製本課長となったが、1948年退社

東京文理科大学内にあった芸術学会の機関誌「スクールアート」の編集発行、美術研究参考書の発行を主眼とした芸術科学社創立に携わった。その後、著述業に専念する。

書誌学。書物のはなし 語りべから現代の書物まで(さ・え・ら書房、1956)。本の文化史 ブック・アラカルト(雪華社、1963)。紙魚のたわごと(朝日新聞社、1966)。本の世界(毎日新聞社、1970)。愛書六十五年 一書物人のメモの中から(出版ニュース社、1983年)。書物よもやま話(出版ニュース社、1986)。定本庄司浅水著作集 書誌編(14巻、出版ニュース社、1979-1983年)。

ノンフィクション。世界の奇談(現代教養文庫、1958)。海の奇談(現代教養文庫、1961)。世界の秘話(現代教養文庫、1962)。世界の怪談(雪華社、1964)。世界の秘境(秋田書店、少年少女世界ノンフィクション全集、1965)。世界の魔の海(秋田書店、少年少女世界ノンフィクション全集、1965)。世界の驚異をたずねて(秋田書店、少年少女世界ノンフィクション全集、1965)。世界の怪奇ミステリー(潮文社、1973)。世界の怪奇(現代教養文庫、1975)。庄司浅水ノンフィクション著作集(12巻、三修社、1987-1988年)

その他。浅水旧蔵のキリスト教文献の一部が古書店を経て立教大学のコレクションに入っている。インキュナブラであるトマス・ア・ケンピスの『著作集』、グーテンベルク聖書(零葉1枚)、石川啄木の署名がある明治時代の福音書などを含む。

還暦記念の『わが愛書の記』では、「私の見た人」の傑作「書物の虫 徳富蘇峰氏」を書いている。「予は意見によりて、立場を変じたることはあるも、立場によりて意見を変じたることはない」「利害得失は無視すべくして、倚るべきはただわが所信の一貫にあり」と蘇峰の言を紹介している。他には「本はできるだけよい版で読む 平櫛田中氏」、「ゾッキ本の礼賛者 徳川夢声氏」、また仙台の阿部次郎の書斎を訪問した記述では、記念館になっている建物を訪問した時の記憶がよみがえった。

喜寿記念の『愛書六十年』は、自らも秘書として手伝った蘇峰の「愛書五十年」に因んだタイトルだ。

本の内容はもちろんだが、その外形ににも興味を持った。成り立ち、紙・印刷・装丁・製本、そして本の蒐集、愛書家・書物狂、古書のエピソードなどに関する蒐集が始まり、27歳で書物誌「書物趣味」を27歳で創刊し、生涯を書物趣味で通した。自身を書物愛好家というが、ここまでくると「書物狂」とでも呼ぶべきだろう。庄司浅水のいうように、書物を読まない人生は空虚だ。