3冊の新刊本が到着ーー『名言の暦 平成命日編』『憲法改正』『紫苑』

今日はやけに新刊本が届く日だった。

まず、本日発行の私の『名言の暦 平成命日編』が10冊。

次に猪俣範一氏の『憲法改正』が8冊。

最後に、母・久恒啓子選『紫苑』という歌集が19冊。21人の合同歌集で妻の「一粒の真珠」50首も入っている。

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憲法改正』では、本の中の「特別寄稿」と表紙の「推薦の言葉」を書いている。これは初めての経験だ。以下、「特別寄稿」の「知の沃野に立つ」。

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猪俣範一さんは、60歳までは大企業の幹部として国内外で活躍したビジネスマンでした。退職後は1人で別荘に住み、それまでの鬱憤を晴らすようにゴルフ、釣り、麻雀という遊びに没頭する余暇を楽しむ趣味人として時間を重ねました。そしてここ数年にわたって目的をもって体系的に読書を重ね、この本の刊行をもって、「憲法改正」という分野に、一つの旗を立てるまでになりました。

膨大な資料を読み込み整理し理解し、その上で自分なりの考えをまとめ、そして体系的に文章を書いていく。このような1冊の本を書き下ろすという作業には、強い知的体力が要求されます。この段階を突破した今、彼の眼前には豊かな沃野が広がっているでしょう。その道を歩むたのしさをさらに求めていくことになるでしょう。

この本の結論ともいうべき第8章の「国民の・国民による・国民のため」の憲法改正では、さまざまな議論のあるこの問題の解決への具体的なアプローチが示されています。その論述には現代日本の大きな課題である「社会的合意形成」に踏み込もうとする気概を感じることができます。この本を材料にして憲法に関する議論が深まることを期待しています。

猪俣さんの力作の誕生は、人生100年時代をいかに生きるか、このテーマに立ち向かおうとする一つのモデルのさきがけとなったのではないでしょうか。長く親交を重ねてきた友人として嬉しく思っています。 

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大学

・授業準備

・総研ミーティング

・久保田先生

・山本さん

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「名言との対話」10月22日。緒方貞子「国の内外を問わず、自分で歩いてみることを、若い世代にすすめます」

緒方 貞子(おがた さだこ、1927年昭和2年〉9月16日 - 2019年令和元年〉10月22日)は、日本国際政治学者

聖心女子大英文科卒。ジョージタウン大学国際関係論修士課程修了。カリフォルニア大学バークレー校博士課程修了。国際基督教大学准教授。上智大学教授、外国語学部長。この間、50歳前の1976年から国連日本代表部公使、外務省参与なども断続的に経験している。

そして1991年64歳から国連難民高等弁務官としてクルドサラエボルワンダなど長い間世界の難民支援活動に取り組み、その後2002年にはアフガン復興支援国際会議の共同議長、そして日本の国際協力の総本山であるJICA(国際協力機構)の理事長を2003年から2011年まで長く務めた人である。

緒方貞子という生き方』という本があり読んだが、この人の働く姿には魅力があり、頭が下がる思いをする。国連難民高等弁務官以降の緒方貞子の足跡を追うと、難問と大問題との格闘の歴史であるとの感を深くする。
あらゆる国々の首相や大臣、あらゆる機関のトップ、こういう人たちと毎日会いつづけ、世界の様々の機関や大学での講演を重ね、現地で難民と接していく。国際紛争や内紛で生じた数百万人の難民を保護するために、問題を解決しようと時間と労力と人脈を駆使していく。国連難民高等弁務官事務所の本部はスイスのジュネーブにあり、職員総数は2000人。4分の3は現地で活動している。任務は、保護と救済である。

2002年には小泉純一郎首相に更迭された田中真紀子外相の後任に擬せられたが、本人は断っている。2003年(76歳)から2012年3月末まで緒方貞子がトップをつとめていたJICAは1.2兆円の規模を持つ日本の重要な世界貢献の本拠である。政府開発援助(ODA)の二国間援助の中心的役割を果たしている。2011年の東日本大震災では世界各国から援助の手が差し伸べられたが、それは緒方JICAの果してきた世界への影響の一端を示すものだと思う。緒方貞子理事長在任中にJICAの専門家派遣事前研修に数年間私も講師という形で関与したことに誇りも感じる。

曽祖父は犬養毅、祖父は外相、母は犬養道子安藤和津の従妹。日銀理事だった夫は、緒方竹虎の三男。竹虎の祖父は緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗った。名門の出である。貴種性が宿っているのだろう。

国連難民高等弁務官就任以降の活躍に、世界各国からの感謝が栄典という形で贈られている。以下のように並べてみると、日本の文化功労者文化勲章の光も色が褪せる感がある。1993年 : イタリア金の鳩平和賞。1994年 : 自由賞(自由主義インターナショナルより)。1995年 : フィラデルフィア自由賞1997年 : マグサイサイ賞平和・国際理解部門。2001年 : 文化功労者。2001年 : インディラ・ガンディー賞。2001年 : ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章。2001年 : レジオンドヌール勲章コマンドール。2001年 : イタリア共和国功労勲章カバリエーレ大十字。2001年 : スウェーデン北極星勲章コマンデール第1等級章。2001年 : ロシア友好勲章。2002年 : フルブライト賞。2003年 : 文化勲章。2004年 : 東京都名誉都民。2005年 : 世界市民賞。2008年 : オラニエ・ナッソー勲章グラントフィシエ章。2009年 : 第3回後藤新平賞(後藤新平の会主催)。2011年 : 聖マイケル・聖ジョージ勲章デーム・グランド・クロス(GCMG)。2011年 : キルギス共和国ダナケル勲章。2012年 : 地球市民賞(大西洋評議会)。

緒方貞子は「小さな巨人」とも言われている。天命に沿って使命感を持って60代から10単位という長い時間を問題解決に捧げ、少しづつ前進していく姿は神々しい。以下、「私の仕事--国連難民高等弁務官の十年と平和の構築」(緒方貞子草思社)から。

  • 中央からの柔軟な調整と、現地における実施機関の対応能力の強化が、問題解決の鍵か。
  • 経済制裁は、弱い人を苦しめる。
  • 日本は、経済大国から人道大国になってほしい。
  • 体系的に理解するというのは、答えを持っているということではなく、何が問題なのか質問ができる、ということではないでしょうか。
  • 湾岸戦争後、国連平和維持協力法を成立させ、国際協調主義的な姿勢を示し、アンゴラカンボジアモザンビークゴラン高原、リワンダ、などに自衛隊を派遣した。その後、90年代の不況によて日本の指導者層は内向きになっていった。
  • 人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。
  • 日本人は意識的に世界各地にある厳しい状況に関心を寄せ、身を置く努力をしなければならないのではないでしょうか。
  • コンセンサスというのは、自然に形成されるものではなく、強力なリーダーシップで引っ張って初めて、形になるものなのです。

影響を受けた緒方チルドレンは世界中にいて、緒方貞子に学んだ現場主義を実践している。緒方貞子は内向きになっていく日本の指導層にも警鐘を鳴らし、そして若い世代には「国の内外を問わず、自分で歩いてみること」を提唱している。何でもみてやろう、何でもしてやろう。安住をやめて、激動する世界を知ろう。そして広がりをもった国になって、世界から尊敬される日本になって欲しいという願いである。 「緒方貞子という生き方」は強いメッセージとなって生き続けるだろう。