多摩テレビで多摩大の枠をもらって、「久恒啓一の名言との対話」シリーズが始まった。毎週木曜日の20時半から21時の30分番組。
10月は梅澤先生がゲストで、2018年の8月17日のインタビューを再編集した映像が毎週流れている。11月、12月は、女性教員シリーズの予定。
「品格」。茨木のり子「長く年月をかけて自分を鍛え、磨き抜いてきた、底光りのするような存在感といったら、私の言いたい品格にやや近づくだろうか。かなりの年齢に達しなければ現れない何かである。」
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大学
・授業準備。図解塾準備。
・山本さん:多摩テレビ。
・杉田副学長と懇談。
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「名言との対話」10月26日、伴淳三郎「アジャパー」
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年1月10日 - 1981年10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。
幼い頃に父を亡くし親類の間を訪ね歩き、俳優を志して東京・浅草の劇団などを転々とする。1927年、伴淳三郎の芸名で映画「辰巳嵐」に出演。その後は映画「赤穂浪士」「竜巻長屋」「串差おでん」「風雲髭往来」「吉田御殿」「忍術太平記」「孫悟空」などに出演した。戦時中は伴淳軽喜座座長として浅草を中心に巡業を行っている。
戦後も舞台の傍ら映画に出演、1951年「吃七捕物帖・一番手柄」の1シーンで「アジャジャーにしてパーでございます」と言うと大いに受けて、「アジャパー」は流行語になった。「アジャパー」は、その後「アジャパー天国」「名探偵アジャパー」などの映画も製作されている。
以来、喜劇俳優“伴淳”(バンジュン)として名を高め、高田浩吉主演の「伝七捕物帖」シリーズでは子分の“獅子っ鼻の竹”の役で活躍。花菱アチャコと組んだ軍隊喜劇「二等兵物語」では主役を演じ、当たり役として計10作が作られる人気シリーズとなった。1961年からは森繁久弥、フランキー堺と共演した「駅前」シリーズの24本に出演した。1964年内田吐夢監督の「飢餓海峡」に出演、犯人を追い続ける老刑事役で新境地を開き、毎日映画コンクール男優助演賞を受賞した。
他の出演に映画:「戦後派親父」「あっぱれ五人男」「ハワイ珍道中」「男の花道」「伴淳・森繁の糞尿譚」「水戸黄門漫遊記」「伴淳の三等校長」「どですかでん」「人間の証明」などがあり、戦後だけで300本を越えている。またテレビにも「ムー一族」「熱中時代・刑事編」など数多く出演。
晩年は福祉運動に情熱を傾け、一人で始めた“あゆみの箱”は全芸能界的行事に発展した。女優の清川虹子は元夫人。紫綬褒章、 ブルーリボン賞(大衆賞)。、毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。
人気商売では何が当たるかわからない。芸能人は一発のギャグによって一気に上昇することがある。青島幸男の「青島だァ!」、林屋三平の「セツ子さーン」、由利徹の「チンチロリンのカックン」、坂上二郎の「「飛びます、飛びます」などが思い浮かぶ。伴淳の場合はやはり「アジャパー」だろう。 「一瞬にしてパアでございます」という台詞を、山形弁で老人が驚いたときに発する“アジャジャー”という言葉を交ぜて「アジャジャーにしてパーでございます」と言ったところ、それを略した“アジャパー”は若者を中心に人気が出て流行語になった。驚きと困惑を示す「ありゃまあ」と「呆れた」という意味のクルクルパーの「パー」をくっつけたギャグである。
人生が一冊の本であるとしたら、その表紙に何と書かれるか。それを意識しながら生きて行こう。