ロングインタビュー

P社のインタビューの3回目。3時間の長丁場。今週金曜日と来週も予定している。書籍だけでなく、10数時間のログインタビューの音源も財産。優れたインタビュアーは上手に引き出してくれるので、楽しい時間だ。

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・高野課長

・松本先生

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「名言との対話」11月25日。辻井喬「どう生きるか、から、どう過ごすかへ」

辻井 喬(つじい たかし、1927年昭和2年)3月30日 - 2013年平成25年)11月25日)は、小説家詩人

 大学卒業後の1980年代までの経営者時代は、1961年に詩集『異邦人』で室生犀星賞、1984年『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞を受賞している。そして引退後の1990年代からは、詩人・小説家として活動を活発化する。1993(平成5)年、詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、1994年『虹の岬』で谷崎潤一郎賞、2004年『父の肖像』で野間文芸賞を受賞。他に現代詩花椿賞、読売文学賞、現代詩人賞などを総なめした。2012年、には文化功労者。となった。

2009年に刊行し現代詩人賞受賞を受賞した『自伝詩のためのエスキース』を読んだ。 共産党員であり、除名された学生時代から、経営者時代、詩人・作家時代の80歳代までの波乱の生涯を「詩」という形式で綴ったのが、新しい形式である「自伝詩」である。

詩とは何か。魂の心底からの叫び声は、短い言葉であるだけに、読む人の心を直接揺るがし、人を動かす力を持っている。その歌声をあげるのが、詩人であると私は理解している。

この自伝詩は、「影のない男」「翳り道Ⅰ」「翳り道Ⅱ」「スパイ」「おいしい生活」「駐屯地で」「今日という日」という構成になっている。この詩の中から、ランダムに言葉を拾ってみる。

いま僕を囲んでいるのは署名のない批判/自由を求めながら自由になるのを恐れている/それは白夜のなかの過去の精霊だろうか/詩を書いている日陰ものはぼんやり見ているだけだ

この場所は僕がいていいところなのかと落着けない部分が心の中にあったのだ/だから世の掟に従うには沈黙を守るしかなかった/でも自分が歩いてきた道を辿り直してみて恥ずかしくならないで済む人がいるだろうか

美はもともと禍々しいものだ/生き延びていくためには美から距離を保つこと/平凡という言葉を恐れている一方で変わっていると思われるのを警戒していたから/僕である老人の彼は目的もなく歩いていくのだ

スパイだという指摘で僕は党を除名された/正直であることの危険性について思案しいつも態度を保留する人間のことを何と呼ぶのか/経営者の組織と詩人の間を/そ知らぬ顔で往き来してきた/どこにいてもどこへ行っても僕は異端のまま

それでお前の生活はおいしかったか/業界では危険な異端者扱い/詩人たちには相手にされず 作品について読者からの反応もなかった/僕は豊かな荒地に舟のように浮いている

その源にあるのは父憎しに過ぎなかった/反芻はまたもや自虐へ傾くのだった/感じたことをそのまま口に出してはいけない/僕は駐屯地に馴染んだのがわかった/いつの間にか僕は名実ともに経営者だった/なかなか抜けられなくなるということだった/もう走るのは僕の属性になっているのだ/僕は駐屯地を出る時がきたのを識った

今日は死ぬのにもってこいと歌えるそんな日は来るのだろうか/学者になる道と政治家だった父親の後を継ぐ道/駐屯地にいた三十年という年月は長過ぎたのだ/人の上に立つことのおぞましさをいつの間にか感じなくなっている/豊かになる 権力を持つ 名誉を得るためにはその代償として魂を売らねばならない/自分で不夜城を計画しながら胸のなかに闇が拡がるのを感じていた/そのころ本当に自分はスパイではないかと思った/死ぬにはもってこいの陽が 今日という日がついにやってこないということだ

辻井喬は「どう生きるか」が人々の関心事であった時代は終わり、人生という時間を「どう過ごすのか」が関心事になってきたと「あとがき」で語っている。人生から生活への変化であり、生きがいから日常への変化である。そういう時代を生きた彼には一貫性やストーリーといったものは書けない。断片的な記憶を詩という形式で書き留め、時代順に並べるというスタイルしかなかったのだ。この自伝詩は過去への旅である。

彼とは、セゾングループ代表の堤清二と詩人・作家の辻井喬という多重人格者である。堤清二という輝いていた経営者の挨拶をあるパーティで聞いたことがあることを思い出した。詩人と経営者の間を揺れ動く長い迷いと葛藤の歴史がこの自伝詩であると思う。

 

自伝詩のためのエスキース