東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」第3弾ーー「米大統領選の総括」「バイデンのアメリカ」「コロナ禍でできること」「バンドン会議」「日本近代史」

東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」第3弾。

アメリカ大統領選総括:バイデンのアメリカへ。投票率は6ポイント以上アップし66.7%。バイデン8128万票、トランプ7422万票。白人は41%対58%。男性45%対53%。女性57%対42%。若者18歳から29歳は60%対36%、30-44歳は52%対40%。45歳以上は48%対51%。白人・プロテスタントの72%がトランプに投票。マイノリティ社会への進行におびえるホワイトナショナリズムの重圧。アメリカは理念を高く掲げたリーダー国ではなくなった。

バイデンのアメリカ:国際協調路線と同盟国重視。ワシントンのジャパノロジストの復権がみえてきた。日米安保マフィア、ジャパンハンドラー、日本問題で飯を食ってる人たち。11月12日の菅総理の電話で「尖閣日米安保の対象」といわれ安堵感だが本当にそうか。1972年の沖縄返還時にアメリカは尖閣の施政権を日本に返還した。しかし「領土問題にはコミットしない、日中で協議をすべき、ただし同盟責任は果たす」とのあいまい作戦。同盟責任とは安保理事会などで支援など選択肢は多い。まず自衛隊で守るべきという立場。12月7日に「アーミテージレポート」の5回目がでた。アーミテージ、ナイらは知日派だが親日派ではない。英語圏の5アイズに日本を加え、機密を共有し中国を包囲という提案。日本は米中対立のリスクに巻き込まれる。過去4回のレポートでは、集団的自衛権有事法制、武器輸出3原則の緩和などが提案されすべて実現して来た。アジアの日本として米中対立という分断の流れに乗らないことが大事になる。

コロナ禍でできることを考える:コロナでは日本は極端な向き合いかたをした。「42万人の死者がでる」で自粛に入り、緊急事態宣言解除でGOTOトラベルで経済へむかった。「コロナとの共生」が大事だ。休業給付金、、など政府、行政への過剰依存。結果はマスク2枚と10万円とクーポン。国民は受け身だった。自分たちにできることは何か。日本総研日本医師会と組んで海外依存の高いマスク、人工呼吸器などの国産の可能性を探っている。「新しい公共」への企業、市民の参画と解決への貢献。PCR検査コンテナという埼玉モデルの先に、「防災力を身につけていく」という意味で医療・防災用品(トイレ、風呂、、)の備蓄を道の駅に県に2カ所の配置。そして医療産業、防災産業を重視する産業構造の転換がある。

1955年のバンドン会議インドネシアで1955年4月18日ー24日に開催。29ヵ国のアジア・アフリカ諸国の代表の会議。ネルー首相、周恩来首相、ナセル大統領、スカルノ大統領が参加。1949年の共産中国の国際舞台への初登場で、1954年の中印の平和5原則の締結の翌年。日本がアジアへ復帰した最初の国際イベント。鳩山一郎首相。当時は東西冷戦で、西側は1949年のNATO、1954年の西欧へのドイツが参加。日本は1955年のワルシャワ条約機構の時代。日本は1955年10月の左右合同の日本社会党の成立と1955年の保守合同による自由民主党という「55年体制」が成立した時期。

バンドン会議の意味:AA諸国は14億人。アジアの自立、非同盟。日本は「おずお復帰」。恥ずかしそうな客。米国によって隔離され保護された島のすみれの花。出席者は経済審議庁長官のの高崎達之助。廖 承志(りょう しょう)の中国と秘密会議を行い、日中国交回復の起点となった。民間貿易が再開する。LT貿易。2015年にバンドン会議60周年会議に安倍首相が参加し、中国へのけん制発言でアジアへの無理解をさらした。

日本近代史からアジアへの向き合い方を考える:日本の対外思想は、欧米中心の「国際主義」と近隣土着の「アジア主義」の流れがある。前者は福澤諭吉が時事新報に載せた「脱亜論」(1885年3月)。1884年の朝鮮での庚申事件でのクーデターの失敗へのいらだちがあり、近隣の開明をまつ猶予はない、西洋と進退をともにすべきという主張。後者は樽井藤吉の「大東合邦論」である。日韓両国の対等合邦を呼びかけ、清国とは同盟関係を結び西欧列強からアジアを防衛するとの思想である。この流れは宮崎滔天大川周明ら。アジア主義孫文の中国革命の支援などを行った。それがバンドン会議につながっている。余談だが1872年の福沢の「学問のすすめ」は小幡篤次郎との共著だ。小幡が中津で市学校を創る時のはなむけの書。「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」、賢人と愚人の差は学ぶことにあると、学ぶ意思を強調している。福沢の戒名は自分でつけた「大観院独立自尊居士」。一身と一国の独立をテーマとした。

日本は親亜を侵亜に変えた時期を除き、日英同盟21年、日米同盟75年の96年をアングロサクソンとの同盟で生きてきた。「海洋国家日本の構想」。グローバリズムの時代とはいえ、中国の台頭、アメリカが世界をさせる力のこ後退のなか、どのように舵をとるか。近年の「やまとごごろ」への回帰傾向。強権化する中国。民主、平和、非核の日本。

コロナ禍:働くということ、生きるということ。稼ぎと務めの両立が一番いいが、別々のことをやりながら一つに近づけていくのもいい。生き物と向き合っている人は強い。植物への水やり、ペットへの食糧、人間との関り、それらは力を湧きたたせてくれる。

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知研幹事の根岸さんと南大沢で会う。民博での50周年企画のまとめの相談。

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NHK文化センター主催の「渡辺京二 寄る辺なき時代を生きる」セミナーを聞く。ZOOMのウェビナー。熊本の会場から。1時間半。内容は明日以降にアップする。

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「名言との対話」12.月20日ウィリアム・エドワーズ・デミング「あなたの仕事は何ですか?」

ウィリアム・エドワーズ・デミング英語William Edwards Deming1900年10月14日 - 1993年12月20日)は、アメリカ合衆国統計学者著述家、講演者、コンサルタントである。

ワイオミング大学で理学士、コロラド大学で数学と物理の修士号、エール大学で物理学博士号を取得した。 1927年農務省に勤める。国連統計委員を経て1942年〜53年まで大統領府予算局統計基準部標本調査顧問官を務めた。1948年にはニューヨーク大学教授に就任し、統計学を教える。1950年に再来日サンプリング理論と実際の権威で、統計的品質管理の創始者。1951年にデミング賞を創設した。著書に「Statistical adjustment of data」(’43年)、「Theory of sampling」(’49年)。日本政府から外国人への最高の栄誉である勲二等が授与されている。

1994年刊行の『デミングで甦ったアメリカ企業』(アンドレア・ガポール)を読んだ。

第二次世界大戦後、統計学的手法を応用した品質管理法を日本の企業経営者に伝え、その後の経済復興へ多大なる貢献をした学者である。現場第一主義の思想で、指導を受けた日本企業の地道な改善努力は、世界にひろがり「カイゼン」になった。製品のバラツキをなくすために、不良の原因を探り当ててつぶしていく問題解決の手法である。提唱したPDCAサイクルは有名だ。デミング賞は1951年から1993年まで、あらゆる業種の160社が受賞して、日本の品質管理ブームを牽引した。

そして1980年代に凋落の一途だったアメリカの産業界は、デミングの品質管理を日本からの逆輸入によって、アメリカ製品の品質は著しく向上し、1990年代に入ってフォード、フロリダ電力、ゼロックス、GM、、などの目覚ましい復活を見せた。デミングは「品質管理の父」となった。

「あなたがプロセスとして何をしているのかを言葉にできないのならあなたは何をしているのかを分かっていない」とするデミングは、「管理職の80%はこれらの一見単純な質問に答えることができません」として、「あなたの仕事は何ですか?」「何が一番重要ですか?」と問いかける。デミングの品質管理ついてはビジネスマン時代に学んでいたが、今回改めてデミングの考えを探る中で、「あなたの仕事は何ですか?」という問いを見つけた。私が行ってきた図解セミナーでの問いかけと同じである。何のために仕事をしているのか、この問いこそ、根源なのだ。

デミングで甦ったアメリカ企業