クラウドファンディング第2弾ーー『図解コミュニケーション全集』第2巻『技術編』

『図解コミュニケーション全集』第2巻『技術編』の発行が対象としたクラウドファンディング第2弾を始めた。

(はじめての方へ)ご支援いただける方は、上のグリーンファンディングの募集のトップページhttps://greenfunding.jp/miraifes/projects/4420?utm_medium=GREENFUNDING&utm_source=Portal

の右上の「会員登録」から入っていただき、会員登録した上で、ご支援のメニューから選んで、お申込みください。支援を希望するが登録をしたくない方、その他質問・ご相談は、事務局(吉池拓磨 yoshiike.takuma@gmail.com)まで、ご連絡ください。


久恒啓一『Zoomオンライン図解塾』のご案内

Zoomを使ってのオンライン図解塾講座を行っています。受講はリターンのいくつかでお申し込みできますが、通常は、以下のnoteマガジン「久恒啓一の図解塾」(月額1万円)の会員登録をすると、久恒啓一の各種コンテンツの閲覧の他に、図解塾の購読権もあります。

YAMI大学 深呼吸学部・特別学科「久恒啓一の図解塾」


推薦の言葉

野田一夫(多摩大学名誉学長)

梅棹忠夫国立民族学博物館初代館長の名著『知的生産の技術』(岩波新書)の延長線上に、私がビジネス界から学界に招いた久恒啓一君が30年来進めてきた「図解革命」が進行中です。その集大成である『図解コミュニケーション全集』が完成すれば、「図解革命」の経典となるでしょう。


福島哲史(オフィスヴォイス代表取締役
「図解コミュニケーション」をテーマとする久恒啓一氏と「ヴォイスコミュニケーション」をライフワークとしている私とは、NPO法人知的生産の技術研究会の同志として活動をともにしてきました。一冊目の「原論編」に続き、「技術編」が世に出ることで、コミュニケーションに関わる分野がより豊かな沃野になることを期待しています。

                  
〇「図解コミュニケーション全集」第2巻「技術編」に収録する書籍の内容。

 1997年発行の『図解の技術・表現の技術』(ダイヤモンド社)は、1990年の処女作『コミュニケーションのための図解の技術』から6年以上経って現実のビジネスや生活の場面での活用や応用を通じて深まってきた考え方の提示と同時に、図解が描けるようになる「技術」、特に「表現の技術」を中心とした本です。
 2002年12月発行の『図で考える人の図解表現の技術』(日本経済新聞社)は、2002年5月の『図で考える人は仕事ができる』の続編で、私の主宰した「図解塾」の講義や実習を題材としており、図解表現と図解思考の基礎的なトレーニング編の位置づけとなった本です。
 2003年発行の『図で考える人は仕事ができるーー実戦編』(日本経済新聞社)は、日経の『図で考える人は仕事ができる』の実践編として、いろいろな仕事やさまざまな場面での図の描き方・使い方を紹介し、実際の仕事で応用できるようになることを企図してまとめた本です。
 2009年発行の『スッキリ考え、1秒で説得 図解の極意』(アスキー)は、図を描くという目的を達成しようとする過程でパワーポイントなどのソフトウェアの技術を身につけることをめざした技術書です。
 2012年発行の『図で考える技術が身につくトレーニング30』(ユーキャン)は、図解思考は理解した、図解の技術も体得した、どのような分野で活用できるかもわかった。そのうえで、図で考えるトレーニングをしたいという読者の要望に応えて編んだ本です。ビジネスマンの悩みや新聞記事などを材料に、図を描きながら問題を解決していくプロセスを体感できる本です。

以上、5冊の書籍を収録する予定です。


参考。
久恒啓一「図解コミュニケーション全集」全10巻。
第一巻 内容 原論編 「図解コミュニケーション原論」2020年8月刊行済み。
第二巻 内容 技術編 「図解コミュニケーションの技術」
第三巻 内容 実践編 「よむ・考える・かく」

第四巻 内容 展開編1「ワークデザイン(仕事論)」
第五巻 内容 展開編2「キャリアデザイン(キャリア戦略)」
第六巻 内容 展開編3「ライフデザイン(人生戦略)」
第七巻 内容 応用編1「世界の名著」
第八巻 内容 応用編2「ビジネス理論」
第九巻 内容 応用編3「日本探検」
第十巻 内容 応用編4「ウェブ時代をゆく


支援は2000円から7段階で選択できます。前回の募集でできなかった出版パーティは今回とあわせて行う予定です。

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「名言との対話」12月23日。巽悟朗「これが終わったら、次はこれをやろう、、とライフワークで取り組み、一つまた一つと消していっただけですわ」

巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003年12月23日)は、元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。

大阪市船場生まれ。同志社大学経済学部ではアメリカンフットボール選手や応援団長を経験した。卒業後、山源証券(現・マディソン証券)に入社。1961年、25歳にして光世証券を創業、一代で東証一部上場企業に育て上げた。2000年、大阪証券取引所理事長に就任。2001年、大阪証券取引所初代社長に就任。ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)の創設に尽力。「北浜の風雲児」の異名をもつ。68歳で永眠。

雑誌「プレジデント」の2001年2月11日号などの資料で、巽悟朗の足跡を追う。弁護士だった父の影響が大きい。「人は世のため人のためになって一人前」と教育を受け、身だしなみとマナーの大事さを教え込まれる。

修行で入った証券会社では、新入社員でありながら一流品で身を固め、一流の料亭やクラブに通うスタイルで、日本一の金持ち・松下幸之助から大口の注文を獲得している。「偉い人は、若い者を大事にします」と注文をとる秘訣を語った。

創業した光世証券では個人客ではなく、法人の一本釣りという戦略をとり、独特の相場観と投機の精神で進撃していった。そして破竹の勢いで、「火中の栗を拾う気持ち」で23年ぶりに民間人として最年少で大阪証券取引所理事長に就任し、日証大阪地区会長を10年つとめ、ナスダックジャパン創設にも尽力している。「巽悟朗と光世証券の三十年史」のタイトルは「独歩」である。まさに独立独歩の人だった。巽の息子は後に「弱点、死角がない」「最後のツメはきちんとやらんといかん」と言っていたと述懐している。

1992年のバブル崩壊時には、鋭い嗅覚で構造変化を察知し社員を5分の1にするなど戦線を縮小する。そして10年ほど前からの先物取引の研究を生かして、売買手数料ビジネスからデリバティブ金融派生商品)を中心とした自己売買(ディーリング)にシフトして生き残っている。

芦屋の六麓地区に建てたドイツの古城のような、美術館とみまがう巨大な洋館も一流好みの証である。大企業に勤めることは「あたかも墓場を選んでいるような感じがします」とは、就活に励む若者への貴重なアドバイスであるかも知れない。

巽悟朗の創業当時の事務所には二畳大の紙が貼ってあった。東証上場までの巨大なフローチャート図である。「これが終わったら、次はこれをやろう、、とライフワークで取り組み、一つまた一つと消していっただけですわ」と後に語っているように図解仕事人だった。この人の図解はだんだん大きくなって、最終目標が、自社の発展だけでなく「商都大阪の復権」という志に大きく育っていった。その志を遂げようとする執念が北浜の風雲児・巽悟朗の生涯を支えたのであろう。