「誕生日」考。

本日、1月3日はわたしの誕生日です。今年の6年目の「名言との対話」は、「大正から昭和へ」というテーマで、その時代に生まれた人を取り上げることにして始めました。今日は、「誕生日」に関わるエピソードを記してみたいと思います。

  • 誕生日と命日が同じ日の人。詩人の塚本邦雄
  • 50歳で著作目録をつくることを決心し59歳で完成した人。文明学の梅棹忠夫は、盲目になってからこの目録を頼りに「著作集」を完成させた。
  • 70歳の誕生日に「70歳のわが誕生日うららかに鳥さえずりてあかるき日なり」と詠んだ人。コメリ創業者の捧賢一。
  • 90歳の誕生日に歌手生活70周年の記念アルバムを出した人。歌手の田端義雄。
  • 78歳の誕生日の前日に生前葬を営み、翌日に復活祭を慣行した人。女優、経営者の水の江滝子。
  • 61歳から17年間、教え子たちから誕生会を続けてもらった人。映画「まあだだよ」(黒澤明監督)で主人公となった学者・内田百閒の誕生会は、61歳から17年間続いた。
  • 誕生日の日に記念館が故郷の金沢にオープンした人。世界への禅の紹介者・鈴木大拙
  • 66歳の誕生日に社長を退いた人。ロイヤル創業者の江頭匡一
  • 95歳の誕生日に句集「ひとり」を出して「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」と詠んだ人。小説家の瀬戸内寂聴
  • 心中し発見された日が誕生日で、「桜桃忌」となづけられた人。小説家太宰治
  • 92歳の誕生日に亡くなった人。沖縄県知事の太田昌秀。
  • 60歳の誕生日に亡くなった人。映画監督の小津安二郎
  • 43歳の誕生日にマッキンリー冬季単独登頂に成功し翌日不明となった人。登山家の植村直己
  • 誕生日に太陽がめがけてきてその塊を呑み込んだ人。黒住教創始者・黒住宗忠。

『誕生日大全』(主婦の友社)は占星術の本です。この本がトイレにあったので、1月3日をひいてみました。

人生の転機として、「18歳」と「48歳」をあげてあり驚きました。大学入学あたりから「主体性」や「自己表現」に関心が深まり、自己変革をしたのがわたしの第一の転機です。ビジネスマンから大学に転身するのが「精神的なものへの興味が高まる」40代の後半でしたから、ぴったり当たっています。そして後年は、愛の大切さを知ることになるそうです。青年期、壮年期、そして現在の実年期のわたしを予見しているようです。

「意欲。創造力。若々しい。教育。計画。眼力。新事業。構想。直感。起業家精神。創造性。言葉。自立心。アイデア。熱心」を挙げてあり、長所は「ユーモア、気さく、創造力、芸術的、話がうまい、自由を愛する」となっています。一方、短所としては「飽きっぽい。虚栄心が強い。自慢する。浪費壁がある。自分に甘い。怠惰である。疑い深い」とあり、納得する記述でした。不思議です。

因みに1月3日生まれをあげてみましょう。河上丈太郎森村桂。安藤太郎。 キケロ大友宗麟荷田春満加藤高明。八代六郎。小林一三鶴見祐輔三岸節子三遊亭円楽(5代目)。坂本龍馬。 クレメント・アトリー。柴崎勝男、平山秀雄、山本学、入交昭一郎、稲越功一岩下志麻横路孝弘尾木直樹高瀬春奈、、。

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昼食:レストランで誕生会。

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20時からZOOM読書会。田原真人さんが出す予定の『出現する参加型社会』(クラウドファンディング出版)を巡るミニ講演と感想の会。16人ほどが参加しました。「統合」という観点からわたしもコメント。統合的世界観、統合医療、統合的理解、、。

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「名言との対話」1月3日。ゴードン・ムーア「見過ごせないほどチャンスが大きいと思ったらリスクを恐れるな。しかし、一度決断したら簡単にあきらめるな」

ゴードン・ムーアGordon E. Moore, 1929年1月3日 - )は、Intel Corporation(インテル)の設立者の一人。
サンノゼ州立大学へ入学。専攻は化学だった。1948年にはカリフォルニア大学バークレー校に転籍、卒業後にカリフォルニア工科大学大学院に進学し、赤外線分光学において化学博士号を取得。

1956年、半導体の分野で名を挙げていたショックレー博士の誘いを受け、ショックレー半導体研究所に勤める。後にムーアを含む8人が、経営方針をめぐる違和感で去る。そしてフェアチャイルド・セミコンダクターを立ち上げるが、大企業病に嫌気がさしてインテルを創業し世界一の半導体メーカーに育て上げた。またムーアは半導体産業のガイドライン的な役割を果たす「ムーアの法則」の提唱者としても知られている。1965年に発表した論文の中で「半導体の集積率は18か月で2倍になる」という経験則である。

玉置直司『インテルとともに』(日本経済新聞社)を読んだ。副題は「ゴードン・ムーア 私の半導体人生」だ。ムーアは日経新聞の「私の履歴書」に1995年2月に登場している。それを書いた記者がまとめた本である。インテルを世界最大の半導体メーカーに育て上げたムーアによればこの本は「自分史」であり、かつ半導体産業の歴史である。ショックレー半導体研究所、フェアチャイルド社、インテル社を通じて、失敗を繰り返したと言う。そして運がよかったと総括している。正しい時期に正しい場所にいて、チャンスを捕らえることができたことは幸運だったという。自分史と産業史が一体となっている。生涯を「〇〇人生」と呼べる人は幸せな人だ。

1970年代末に日本企業に警戒感が生まれ、80年代は日本企業が席巻したが、インテリは1992年に売上高は世界一になった。そして顧客への安心感の提供のために「インテルインサイド」キャンペーンを始める。日本では「インテル入ってる?」というコマーシャルが流れたことは記憶にある。

ムーアは大学教育について「グループの中で研究したり働くということをもっと経験させるべきだ」と提言している。理工系はチームでプロジェクトに取り組む方法を教えるべきだという。

意外なことにムーアは半導体人生を「失敗の連続だ」と述懐してている。「インテルを創業して以来、33年間を振り返ると自分でも信じられないほど多くの失敗をしたと思います。忘れようとしても忘れられない失敗がいっぱいあります」「企業は放っておけば成功体験にしがみついてリスクを避けるようになります。その方が楽だからです。しかし、企業にとってこれが一番怖いのです」

そして成功者の誰もが言うように「運がよかった」とも語る。 人生では何回かチャンスが巡ってくる。それをつかむにはリスクを冒す必要がある。「シリコンバレーでは、リスクを冒す者だけが刺激的で価値ある人生を過ごせる」、それがシリコンバレーの掟なのだ。もちろん失敗も隣り合わせになることは忘れてはならない。「チャンス、リスク、執念」がムーアのアドバイスだ。

インテルとともに―ゴードン・ムーア 私の半導体人生