週一回のヨガのレッスンで体調・心調を整えています----人間は習慣の束である。

朝:メンズ・ヨガで9時から1時間。3人しかいないので、個人レッスンのようで丁寧に教えてもらっています。参加すると体調・心調(?)もよくなる。この習慣も7-8年になるかもしれません。ずっと続けていきたいと思います。

習慣が変われば人格が変わる。習慣が病気を作る。書く習慣。一日一冊の読書習慣。知的生活習慣 若い時からのよき習慣の老年までのキープ。新しい発見をささがすという習慣。運動の習慣。メモを取る習慣。。良い習慣は才能を超える。良い習慣を少しづつ増やす。人間は習慣の束である、、、、、、。

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夜:深呼吸学部の橘川さんの講義に2時間。以下ヒント。

句会でなく図会。川柳ZOOM。内省と対話。アンパンマンの歌「何のために生まれ、なにをして生きるのか」。(やなせたかしいずみたく宮城まり子)。寅さんの言葉。2月4日。、、、。河村ともゆき(ヨルモリ)、鈴木太夢(五條堀孝、、)。、、、

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「名言との対話」(「大正から昭和へ」誕生日編)。1月23日。鈴木健二「多くの人は日記を書く、それならば私は原稿を書く」

鈴木 健二(すずき けんじ、1929年1月23日 - )は、アナウンサー司会者

江戸っ子。旧制弘前高校から東北大学で美学を学ぶ。NHKにアナウンサーとして入局。『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 大型中継番組を、独創的なアナウンスでいずれも成功させた。1983年から1985年まで、『NHK紅白歌合戦』で白組司会を担当した「最後の職人アナウンサー」。著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。退職後は、「一人の友達もいなかった。人の役に立つ仕事なんて何一つやっていなかったことにも気付き、「(定年後は)人のために生きる」と決心し、熊本県立劇場の館長に就任し、10年間にわたり伝承芸能の復元、村おこしや障害者と健常者のコンサートの開催など「公益性」の高い仕事に従事する。1998年には青森県立図書館館長(1998-2004年)と青森近代文学館館長に就任した。

1982年に刊行された『気くばりのすすめ』(講談社)は単行本332万部、文庫本を含むと400万部以上の大ベストセラーとなった。 「気くばりとは、あなたの目の前で瞬間に起こった事柄に対して、あなたが小さな勇気を示して素早く行動すること」だそうだ。

以下、折に触れて私がメモした鈴木健二の言葉。

「気くばりのすすめ」をはじめ、話し方や生き方指南から翻訳まで150冊を超える著書を持つ
「気くばりのすすめ」をはじめ、話し方や生き方指南から翻訳まで150冊を超える著書
「気くばりのすすめ」をはじめ、話し方や生き方指南から翻訳まで150冊を超える

「健康は人間が自分に贈ることのできる最高のプレゼントです」(糖尿病、尿路結石、痛、動脈瘤、などを経験している)。

「スケジュールをいかに組むかはわたしの最大の仕事である」。仕事・講演・執筆と超多忙な日々を全速力で走った鈴木健二さんならではの言葉だと思う。鈴木さんは講演の前後を活用して旅をしていた。持ち時間は限られているのだから、組み合わせや優先順位に関する方針が重要になってくる。

「完全な組織人間にはならずに、こんな組織と心中してたまるかと、冷ややかに組織のあり方、行こうとする方向を見つめるゆとりがなくてはならない」。勤め人であった私の心に響いた言葉だ。

「生きるエネルギーは十代の青春も二十代の希望も、三十代の前進も、四十代の飛躍も、五十代の最高潮も、六十代の失われてゆくときも、変わることなく燃やし続けなければならないのだ」

NHKの名アナウンサーとしての激務をこなしながら、出版社からの注文に応じて本を長い間継続的に出していた。この人は親を含む家族のために大きな家を建ててしまい、その借金返しのために猛烈に働いたと後にある本で多作の原因を説明していた。

2011年に訪問した飯田高原の九州芸術の杜には四つの美術館があった。榎木孝明美術館。前田真三・晃風景写真館。前田真三・晃風景写真館。そして、大野勝彦美術館では、農作業の最中に機械で両手を失った大野勝彦が、それ以来描き続けてきた絵と言葉が一緒になった作品集が展示されていた。義手を使った作品群だ。熊本県立美術館の鈴木健二館長の「この人は本物だ」という推薦文があった。

 

映画監督の鈴木清順がテレビ番組でNHK鈴木健二アナウンサーを「あれはうちの弟」と発言しスタッフや観客が驚いたことある。有名な健二も清順も、兄弟であることをあえて言わなかったのである。

鈴木健二の著書は150冊を超える。私は鈴木健二の本を多く読んでいるが、20代から始めて各年代ごとに何をすべきかを論じている本も読んできた。また私が30代前半で『私の書斎活用術』という本を出したとき、推薦文をもらったこともある。

大和出版中心に各年代ごとの本がシリーズで出ている。『男が10代にやっておくこと 人生を確かに歩み出すために』(大和出版、1985年)。『男は20代に何をなすべきか ”人間の基本“を身につけるために』(1982年7月)。『30代に男がしておかなければならないこと』(1980年11月)。『男が40代にやっておくべきこと 人生の勝負はここで決まる』(1980年5月)。『男が50代になすべきこと』(1989年) 。『男50代自分自身を生きるヒント』(1996年9月)。『人は50代60代に何をなすべきか 「老前」の生き方が「老後」の生き方を決める』(グラフ社、2004年6月)。『60歳から65歳に男として想うこと この5年間を最高に生きる20章』(1995年4月)。『老活のすすめ 六十代からのいい生き方、いい老い方』(PHP研究所。 2013年)。

内容は、例えば『30代に男がしておかなければならないこと』は、出世や行動力、転職、妻や子どもとの関係、親の老後まで、人生のあらゆる局面をカバーした実践的な内容だ。鈴木健二の人生という荒波を生きる航海の指針がある。

最近、鈴木健二は2021年の本日で92歳を迎えていてまだ元気な様子の記事を読んだ。ならば、70代、80代。90代、100歳の本を書いてもらいたいものだ。私も今年50歳前後をターゲットとした生き方の本を刊行する予定だが、それで30代、40代、50代の本が揃うことになる。機会があれば、10代、60代以降も書いて一気通貫したいとも空想する。

尊敬するピカソ日記に「多くの人は日記を書く。自分は日記のかわりにを描く」と書いた言葉に感動した鈴木は「多くの人は日記を書く、それならば私は原稿を書く」と決心したという。原稿書きは日記の代わりだったのだ。それが本になっていく。デジタル時代の今日、ブログなどを活用すれば、同じことが容易にできるようになった。90代を迎えた鈴木健二の健筆を祈る。