「偶然と必然」考

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人生における「偶然と必然」について考えをめぐらしてみたいと思います。偉人たちはどう言っているのでしょうか。

まず「偶然」について。田辺聖子「幸福な人は自慢屋であり、教訓家になることが多い。偶然の結果、健康や成功に恵まれたにすぎないのに、自分の能力のせいだと過信する」。 東浩紀「弱い絆は偶然性の世界。偶然に身を委ねよう。それで情報の固定化を乗り越えられる」中村修二「偶然に置かれた場所で、問題を解こう」。

次に「偶然と必然」との関係について。パスツール偶然は、準備のできていない人を助けない」。中山雅史偶然を必然に近づけるのは、そこに顔を出す回数ですよ」。岡本太郎「写真というのは、偶然偶然で捉えて必然化すること」。坂口安吾偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当たりだけには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはそういうものだ」。鶴見和子「萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を」。斃れてのちやむのもよし、斃れてのちはじまるもよし。必然(因)と偶然(縁)の織りなす運命に従て精一杯生きよう」。二宮尊徳「貧となり富となる。偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり。人皆貨財は富者の処に集まると思へども然らず。節約なる処と勉強する所に集まるなり」。 加藤セチ「天才でも何でもない凡人には、どうせ、あるものしか見えないとあきらめるのは間違いである。どんな芸術でも、どんな科学でも生まれるときは、全くの偶然に霊感が現れるという場合はなく、心を不断に配り、観察を微に入り細に亘って怠らないとき、そこに霊感が降りて、発見が生まれる」。

 いずれも偶然と必然の関係についてなにごとかの真実を語っています。人生は偶然の連続で構成されているといえるでしょう。最初の段階で偶然に出会ったものに没頭して、その延長線上に次の課題が見えてきて、それを深堀りしていくと、新たな地平がせりあがってくる。志を持続してきたというより、結果として後から振り返ると、一筋の道筋らしきものが見えてきたという感覚があるのではないでしょうか。

大きな仕事においては、人は常にいくらか偶然を考慮に入れることが重要であり、偶然に出会った人と縁を結び、その糸を大事につなぎ、大きな絵姿に織り込んでいくのが成就への道となります。そして偶然に訪れる幸運に舞い上がることなく、そして不運に埋没せずに、自分の足でしっかり歩かなければ目的地には着かないでしょう。

「縁」という偶然に導かれて「運」に出会い、いつか「因」という必然に転化するということではないでしょうか。東洋思想は「縁」という観念を発明したことによって、「偶然」と「必然」を結びつけたのでしょう。

先の見えない人生という旅は、偶然が数回重なると必然になったり、偶然と必然の出会いによってしだいに確かなものになっていく道程です。偶然なのか、必然なのか、人との出会いは不思議な運命に導かれているようです。「邂逅」という言葉を久しぶりに思い出しました。運命的な巡り合いを意味するこの言葉にふさわしい出会いが人生でいくつあるかが、それが人生の質を決めるのです。自分のことを顧みると、数人の尊敬すべき人物との邂逅が思い浮かんできます。それぞれの人と人生の節目の時期に出会っていることがわかります。

三木清は「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している」と偶然と必然の関係の機微を語っています。結局、私の師である野田一夫先生がいつか語ってくれた「必然的偶然」とい一言が究極の名言であると思います。 

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「名言との対話」1月26日。京極純一妖怪と政治家の動きはそんなに変わらないようには見えるねえ

京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年大正13年)1月26日 - 2016年平成28年)2月1日)は、日本政治学者政治学政治過程論)。

東京大学法学部教授千葉大学法経学部教授、東京女子大学学長などを歴任した。 日本学士院会員文化功労者

統計学計量分析を取り入れて選挙や世論、政治意識を分析し政治過程論として発展させ、戦後日本政治を考察した先駆者で、日本政治の仕組みを人々の生活感覚、秩序像、死生観にまで遡って論じた。

政治学者としての名声は知ってはいたが、読んだことはない。今回たまたま『文明の作法』(中公新書)を手にした。人口に膾炙している「諺」について論じたエッセイであるが、そこに日本人の織りなす世間を政治学者の目を感じた。専門というフィルターの威力を思った。

「親の十七子は知らぬ(子は親になり、親を知り)」。「百様を知って一様を知らず(物知り時代の物知らず)」。「一の裏は六(運と道づれ、本人ひとり)」。「八分は足らず十分はこぼれる(栄枯盛衰世の習い)」、、、、など人生の智恵が書き込まれている。人生行路についてのエッセイをどのように書いているか、以下にあげてみよう。

「二八余りは人の瀬(徐行運転、少年期」)。人の一生には川の瀬を乗り切るような危ない時機がいくつもある。思春期はもちろんだが、大人になってからも男女ともに厄年がある。人の一生は綱渡りだ。体と心が不安定なティーンエイジャーは、時間をかけて自分に対する信頼を育てるほかはないという。少年期の危うさは慎重にそろそろと自分をつくっていく時期なのだと思う。

「うかうか三十きょろきょろ四十」(「立つ」と「惑わず」人並みに)。孔子は30にして「立つ」といった。それは専門をもってプロになることを意味している。そして40にして「惑わず」といった。しかし多くの人はそうはいかない。30まで「うかうか」過ごし、40になるころにはまわりを「きょろきょろ」見回すことになる。この本が書かれた1970年頃は、平均寿命が70歳にのびたから「うかうか42、きょろきょろ56」となるとしている。2020年の現在では「人生100年時代」の到来と騒がれている。この時代には「うかうか50、きょろきょろ65」と考えたらいかがだろうか。50歳までの青年期、65歳までの壮年期、80歳までの実年期という人生区分は私の説だが、その観点からみると、うかうかと青年期を過ごし、定年の65歳あたりできょろきょろしている姿が浮かんでくる。心を刺し貫く戒めの諺だ。

「雁は八百矢は三本(人生短く夢多し)」。少年の日には無限の可能性があるように感じる。しかし手持ちの矢は3本しかないのだ。無限の可能性をにらみながらの選択と断念と集中、その繰り返しが人生の嘆きだという。この3つの諺は、京極純一の人生観であり、そして真実であると納得する。

さて、京極純一は専門の政治についてはどのように語っているか。

「グランドデザインを描ける日本になるべきと言う人がいますが、私はどうかなと思います。日本社会の強さは、生物体のように、状況に応じて中身を変えていく適応力の高さにあると思います」。

冒頭に紹介した「妖怪と政治家の動きはそんなに変わらないようには見えるねえ」の前には、「政治の研究をしていくと、結局のところ、「日本の政界」と「ゲゲゲの鬼太郎の世界」はそう大して変わらない。本質は一緒で」という言葉がある。この世は魑魅魍魎の妖怪たちが跋扈すると思えば、随分と気が楽になる気がする。

 

文明の作法―ことわざ心景 (1970年) (中公新書)