『多摩大学寺島実郎監修リレー講座「現代世界解析講座」(2008年度~2020年度)の学びの軌跡』が完成。

多摩大学寺島実郎監修リレー講座「現代世界解析講座」(2008年度~2020年度)の学びの軌跡』が完成しました。自分用の学びの軌跡の記録。大学にも残します。

  • 第一部「21世紀13年間の世界と日本の動き」237頁まで。約300回の識者の講演の内容を図メモをもとに翌日ブログにまとめた内容。
  • 第二部「受講時の「図メモ」一覧」:375頁まで。受講時に私の描いた毎回の図メモ。
  • 第三部「久恒啓一講義概要・資料一覧」:412頁まで。2008年「現代世界のつかまえ方~図解思考のすすめ」、2012年「日本型グローバル人材の条件」、2013年「鳥瞰図説 日本と中・韓・台・朝の歴史教科書にみる東アジア近代史の位相」、2015年「戦後70年史、そして沖縄」というテーマで私が行った4回の講義のレジメと用いた資料集。

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 日本未来学会理事会。

・ゆいまーる那須。100年コミュニティ。移住者。廃校。完成期医療福祉。統合医療。自律と共生。代替医療。自立50戸・介護26戸。66m。QOL。医療と介護は続いている。ワーカーズコープ。遺産活用。歩いて暮らせる。樹木葬。参加型。CCRC。風の谷プロジェクト(固有の歴史遺産、場所性)

・MEGURO STATION。南三陸1.2万人。ゴミ出し。地域内関係人口。高齢男性。感謝ポイントが社会的報酬。異世代交流の発生。精神の代謝。パイの濃縮化。定常経済で文化力。アミタ44年。那須の森林牧場。生駒市12万人。

・高齢者の定義はない。65歳。ビスマルクの政敵排除。戦後生まれの高齢者という違う人種。日本とは何か。日本をどう説明するか。

・(衰退と完成。ライフコンシャスライフ。キャリア3期・人生6期。ライフデザイン。幸せ。生命・人生・生。、、、、)

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大学:資料整理

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「名言との対話」2月5日。板垣雄三「自然科学は扇を開いた扇面、非常に華やかな扇の面なんだけれども、人文社会科学というのはそれをつなぎ留めている要なんだ」

板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は、日本のイスラム学者。

東京市本郷生まれ。戦時下、キリスト教徒(プロテスタント)として育つ。中学3年で敗戦。1953年東京大学文学部西洋史学科卒業、1956年同大学院修士課程修了。東京都立竹早高校教諭として勤務。1960年東京大学東洋文化研究所助手、1965-1966年アラブ連合共和国のカイロで在外研究、1966年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)アラビア部門専任講師、助教授。1971年東京大学教養学部助教授兼任(歴史)し、1976年東京大学教養学部教授、1991年定年退官。東京経済大学特任教授、教授。1997年コミュニケーション学部長。2001年定年退職(二度目)。

1970年代にはパレスチナ問題に研究対象を移し、1980年代以降は「イスラームの都市性」などの重点領域研究を切り拓いた。湾岸戦争から9.11テロ、イラク戦争に際しては、米国の中東政策などに関して積極的な発言を行なった。2003年文化功労者。日本中東学会会長、日本イスラム協会理事長、アジア中東学会連合会長、日本学術会議会員。

私は20代で中東のオマーン研究をやっていた頃以降、板垣雄三の論考に注目していた。またNHK文化センターの講座も受けたような記憶がある。今回、2012年に「戦後日本の中東研究を記録する」というテーマの公開インタビューを受けているまとめを読んだ。2001年につくった「板垣雄三の教育/曼荼羅風図解」を資料として使っている。

・現代の日本社会にとってのパレスチナ問題を考えようとするとき、東北やアイヌモシリや琉球や朝鮮や台湾の歴史的な問題に着目しなければならない

・『日本人とユダヤ人』(山本書店、1970年)は、私の書いた「ナセルの挫折と大国のエゴイズム」に対する批判でした。

・大学を出て、そのまま大学院に進学、約束事の手法で安全確実に結果の出るテーマを決めて学位をとり、自分の「専門」の狭い枠の中に安住して、ルーティーンで「業績」を生産する、といった研究者は、ほとんど見込みがないのではないかと思います。みんな一度、中学か高校の先生を義務としてやる、小学校もいいですね。

・メディアで何かものを言うときに、私の場合は自分の信じるところを言う

・一つひとつの選択肢の長短をちゃんと説明するということが重要なのではないか。それが研究者の社会的責任ではないか。

「自分の勉強について、これはこうなのだということを、自分の言葉でちゃんと言わないといけない」と自戒している。「そんなのは学問じゃないよ」という言葉の前には、「借り物の議論とか借り物の概念、どこからか借りてきたのを当てはめて、それで仕事をしようというのは、おやめなさい」がある。


板垣雄三日本学術会議の第1部(人文科学)部長をつとめた。2013年には日本学術会議声明を出している。「自然科学は扇を開いた扇面、非常に華やかな扇の面なんだけれども、人文社会科学というのはそれをつなぎ留めている要なんだと主張した。この要がなければ科学技術とかいうのは成り立たない」との声明だ。最近の新会員候補6人の任命拒否問題でも「日本の名誉を失する。6人の問題ではない」とメディアで指摘している。
「人間というのはだんだん思想が過激になる。自由の身でいたい。そして言いたい放題を言って暮らそうと思っています」と引退後は公職を断っている。本日で90歳を迎えるが、今は長野県諏訪市に住み、信州イスラーム世界勉強会代表をつとめているようだ。

 

 

 

2003年まで同会議の第1部(人文科学)の部長などを務め、現行制度への改革にも関わった板垣雄三・東大名誉教授(歴史学)=諏訪市在住=は「6人の問題では全くない」と指摘
2003年まで同会議の第1部(人文科学)の部長などを務め、現行制度への改革にも関わった板垣雄三・東大名誉教授(歴史学)=諏訪市在住=は「6人の問題では全くない」と指摘