書斎の整理の日

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書斎の整理の日:本棚の組み立て。蔵書の並べ替え。意外な資料を発見、、。まだまだ続く。

 電話:知研の福島さん、根岸さん。税理士事務所の菊池さん。

原稿:1つはチェック、一つは加筆を始める。

ZOOMミーティング。

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「名言との対話」2月23日。川添登「デザインは明日の歌である」

川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は日本の建築評論家

 東京出身。早稲田大学専門部工科建築専攻、文学部哲学学科心理学専修に進む。卒業後は考現学創始者今和次郎の助手をっとめながら、建築学科で学ぶ。1953年から1957年まで雑誌『新建築』編集長として建築ジャーナリズムを確立し、日本建築とは何かを問い続けた。

1960年、世界デザイン会議日本実行委員に就任したのをきっかけに、メタボリズムグループを結成し、『METABOLISM 1960 都市への提案』(美術出版社)を出版し、日本発の世界的な建築理念を発表する。

1969年には大阪万博博覧会テーマ館サブプロデューサーに就任し。日本万国博覧会に尽力し、林雄二郎(51歳梅棹忠夫(47歳)川添登(41歳)加藤秀俊(37歳)、小松左京(36歳)と日本未来学会を発足した。1970年には京都にCDI(Communication Design Institute、コミュニケーションデザイン研究所)を設立し所長をつとめた。

1972年には日本生活学会を設立し理事長。1981年開催のつくば国際科学技術博覧会では政府出展総括プロデューサーに就任。1987年から郡山女子大教授(1999年まで)。1999年より2002年まで田原市立田原福祉専門学校校長を務めた。

1960年『民と神の住まい』により毎日出版文化賞、1982年『生活学の提唱』により今和次郎賞、民間学である生活学を体系したことで1997年南方熊楠賞を受賞している。

建築評論から、都市、民俗学まで広範な領域で発言した。都市評論家、文明評論家である。建築の実作はつくらなかったが、日本の建築思想を牽引し、建築家たちの考え方と作品に大きな影響を与えた。

 1971年刊行の『デザインとは何か』(角川選書)を読んだ。日本万国博が終わったばかりの45歳の作品である。川添登の名前は見かけてきたが、よくは知らなかった。この本を読み終えて、この人は英知と洞察の人だと感じることになった。

人間の世界を「観念」「エネルギー」「実体」と分けて考え、実体の世界のことを考えるのがデザインである。そして、第2章「物質の歌」では、骨、石、土、レンガ、木、竹・藤など、ガラス、紙、金属、セメント、プラスチックについて考察を加える。それぞれの材料についての広範な説明は物理的、歴史的に深められている。第3章「形の意味」では、今和次郎の「肉体労働者」「知能労働者」「情意労働者」の類型をあげている。「知能」はサラリーマンで、「情意」は経営者のことだ。機能主義のモダン住宅はサラリーマンの住宅だという。そしてデザインは「明日の歌」であるという川添登は、メタボリズムは、人間は不断の新陳代謝を繰り返しているという思想で、人間は環境、都市を再生産し続けると主張した。21世紀は人間の幸福とは何かを問い、人間尊重が基調となっていくと予測している。この本の刊行から50年経った21世紀に我々はいる。

デザインとは何か (1971年) (角川選書)