書斎の歴史

若い頃から書斎願望があった。知的生産に関心があったので、今から思えば書斎を確保することには熱心だったように思う。


結婚して32歳で最初に買った千葉船橋のマンションでは、一部屋北側の一室を手に入れた。東急ハンズのPR誌に取材されたことがある。当時としては珍しくワープロとコピー機を買って使っていて、最初の本が出たのもこの書斎からだ。

次に34歳で買い換えた横浜のマンションでは、リビングの隣の南側の一室を書斎として使った。家内が言うには、一番いい場所が夫の部屋となっている家などどこにもないということだった。ここでは「知的生産の技術」研究会で取材をまとめた本や共著などがぼつぼつ生まれた。

39歳になって、千葉の佐倉に一戸建てを購入する。最初は2階に自分の部屋を持ったが、上にあがることも結構大きなバリアと感じていたのでなかなか使わない。そこで一階に書斎を持ってきた。40歳のときに書いた最初の単著を書いたこの家には7年住んだ。


47歳でビジネスマンから大学教員へ転身して仙台へ。

まず、教員宿舎に入る。4LDKと大きいマンションタイプの宿舎だったので、リビングの隣を自分の部屋にする。建学に奔走していたので、本を書く余裕はなく、この書斎では授業の準備しかできなかった。

数年住んだが、犬を飼えないので一戸建てを急きょ借りることになった。室内で犬を飼えるのは一つしかなく、選択の余地なく借りる。古い家だったので、とても寒く知的生産性はあまりあがらない。この家には1年も住まなかった。



その後、2年半前に住宅を購入。我が家では書斎は例によってもっともいい場所に確保するという慣行が確立していたので、公園に面した北川の部屋を書斎として設計する。公園の四季を楽しみながら、パソコンに向かって、せっせと原稿を書いたり、ホームページに書き込んだり、メルマガを打ったりという日々が続く。代表作である「図で考える人は仕事ができる」は、この書斎から生まれた最初の著作である。その後、30冊近くの書物がここから生まれたことになる。著書の半分以上だ。快適な環境を得て知的活動が活発になったようだ。