野口英世記念館、諸橋近代美術館  (福島県)

大型連休は家族4人で那須への車の旅。2泊3日。

人物記念館と美術館を巡る旅となった。


野口英世記念館を訪問。


 1876年(明治9年)生まれ、1928年(昭和3年)、51歳で死去。19歳で上京するときに、家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」とナイフで刻み、その決意の程が残っている。猪苗代湖の湖畔にある記念館には達筆で自筆の「忍耐」という碑と、「忍耐、正直は最良の策である。忍耐は苦しいがしその実は甘い」という言葉が英文とともに記された碑がある。野口記念館は、人が多い。子供連れが特に多い。教育効果を考えてのことだろう。英語とともに、韓国語の表示があった。韓国からの訪問者も多いのだろうか。

153CMという短駆であった野口英世という人物には、向上心を促すための言葉が実に多い。刻苦勉励型。エニアグラムのタイプ3。己を持す「己持」、「至誠」、「精神を養う「養神」、動かない「動不」。母校の翁島小学校で「成功の秘訣」を聞かれた英世は「目的・正直・忍耐」という言葉を贈っている。

アメリカでは、エジソンと子供の頃の貧しい境遇が同じであり意気投合している。また負けず嫌いで、相手が負けるまで、夜があけるまで勝負ごとを行ったらしい。

英世の短い生涯で取り組んだテーマは実に多い。蛇毒、狂犬病結核、梅毒、オロヤ熱、ワイル病、ロッキー山紅斑熱、つつが虫病、黄熱、小児麻痺、トラコーマ。

中南米では、黄熱病対策のため1918年エクアドル入り。到着後9日目で病原体を発見。血清と 野口ワクチンをつくり、驚異的な高い死亡率を16%に減少させた。そのため陸軍大佐に任命されている(国内最大の名誉)。

また、野口を記念した建物などが実に多い。。

メキシコには記念病院、ペルーには記念病院、野口英世学園、ブラジルには野口通り、ガーナにはグチ・メモリアル・インスティテュートなど。人命を救った功績は偉大であることがわかる。

英世はびたびノーベル賞候補になっている。1914年、1915年、1920年の3回だが、前2回は最終選考の11人、9人に残っていた。その後、第一次世界大戦の勃発で4年間「該当者なし」という時代が続いたのは不運だったというほかはない。

 1928年5月21日。黄熱病の研究で、アフリカのゴールドコーストに死す。

「博士は科学への献身により

 人類のために生き、人類のために死せり」という碑が残っている。


昼食をとった食堂に掲げてあった「野口英世」という演歌の歌詞が面白かった。

  「頼りにならない父だけど

   母の苦労に報いたい」

     勲二等旭日重光章、仏国防疫功労金賞。


2000年10月23日の朝日新聞で、この1000年で最も傑出した科学者は誰かという面白い企画があり、読者の人気投票を行っている。この記事では野口英世は圧倒的な票数で第一位だった。


1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎

6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ10.利根川進

11.鈴木梅太郎 11.西澤潤一 13.高峰譲吉 14.寺田寅彦

15.志賀潔 16.関考和 17.  19.朝永振一郎 20.長岡半太郎

21.福井謙一 23.広中平祐 26.今西錦司