仙台文学館で今日から始まった「与謝野寛・晶子展第2期・自立する女性へのまなざし」を午後、見に行く。第1期でも感じたが、与謝野晶子(1878−1942)の歌も素晴らしいが、その生きるエネルギーが凄まじい。
わが歌の短ければ
言葉を省くと人思へり
わが歌に省くべきもの無し
また何かを付け足さん
わが心は魚ならねば を持たず
唯だ一息にこそ歌ふなれ
「青踏」の平塚らいてう(1886−1971)らとの母性保護論争。
「子供を産み育てることは、社会的・国家的性質を持つものであるから、女性が子供を育てている期間、国家の保護を求めるのは必要なことである」「女性は母性であるが故に保護されるべきである」とするらいてうに対して、晶子は「国家に寄食する依頼主義である」「男女は対等な関係」として批判した。平塚らいてう、山川菊枝、山田わからと論争した。今日にも通じる問題である。
「原始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼 白い顔の月である」
「12歳の時からの恩師」と呼ぶ紫式部の源氏物語の新訳は、1909年に依頼を受けライフワークとして取り組んで、1939年(昭和14年)に全6巻を完成している。途中1912年の関東大震災によって原稿が焼失するなどの悲劇があり、乗り越えている。
十余年われが書きためし草稿の
跡あるべきや学院の灰
晶子・源氏は「大胆な意訳・女人の心をもって女人の心を見ている・近代の歌人の心をもって古代の歌人の心をとらえている」と讃えられた。
源氏をば一人になりて後に書く
紫女年若く われは然らず
源氏物語は、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴、橋本治の訳などがあるが、
「窯変 源氏物語」を書いた橋本治の全14巻も面白そうだった。
ヨーロッパにいる寛を訪ねるときの歌。高らかな音色が響くような歌だ。
いざ、天の日は我がために
金の車をきしらせよ
あらしの羽は東より
いざ、こころよく我を追へ、、、
与謝野寛(1873−1935)
さびしげに群れをはなれて小学の
庭に立てる父ににるかも」
晶子と親交のあった原阿佐緒(1888−1969)の歌
くろかみも このもろちちも うつしみの
ひとはもはやふれざるならむ