鳩山会館

東京・音羽にある鳩山会館は「日本の洋館」という歴史遺産を扱った写真誌にも出てくる。「バラの庭を前に建つイギリス風の外観、ハトをモチーフとするステンドグラス、アダムスタイルの応接室」(藤森照信東大教授)。鳩山御殿とも呼ばれていたらしい。両脇に木々が豊かな長い坂道を登りきると洋館が現われる。赤い絨毯を踏んで階段を上る。


 この洋館は、鳩山和夫衆議院議長早稲田大学校長・弁護士)が居を構えた地に鳩山一郎(総理大臣・自由民主党初代総裁)が建てたもので、一郎、威一郎(外務大臣・大蔵事務次官参議院議員)、由紀夫(民主党代表・衆議院議員)・邦夫(文部大臣・労働大臣・衆議院議員)の三代が住んでいた。そういえば鳩山兄弟が自民党を脱党したときか民主党を結成したときだっか忘れたが、小沢一郎を招いた酒宴を張ったことがある。それはこの建物だったと記憶している。


 この洋館は、一郎の親友であった岡田信一郎の設計で、1995年7月から1996年5圧まで修復・復元されたものである。延床面積901.61ヘーベ。

第二応接室は一郎(総理大臣)が病を得てから使った応接室である。一郎愛用の椅子がある。この応接室には、各界の要人が多く訪ねている。政治家では、三木武吉河野一郎、山村新次郎、松村謙三岸信介石橋湛山、それ以外にも野球の水原監督、川上選手、相撲の栃錦ソ連のミコヤン外相など、、、。


一階は、他にダイニング、8畳の和室、そして庭に面したサンルームがある。庭に出てみると、芝生が一面にひかれており、先のほうは花園でその先は山で木が茂っている。ここで由紀夫・邦夫の兄弟も遊んだのだろう。鯉の泳ぐ小さな池があり、そこに老夫婦の像が立っている。これは一郎の父である和夫とその妻の春子である。この像はやはり、朝倉文夫の作品だった。

2階は、各部屋が鳩山家の人物を紹介する間となっている。

10畳の和室は、鳩山薫記念室である。1888−1982年。一郎の妻である薫は、共立女子学園理事長など女子教育に力を注いだという理由で、勲一等瑞宝章を昭和41年に佐藤栄作首相から授与されている。


一郎記念室はもともとは書斎だった。「精神集中」という一郎の大きな書がかけられている。一郎の父和夫の「公徳」の書も。1883−1959年。一郎は大勲位をもらっている。縦書きの小さな日記帳。書棚には「鳩山一郎・薫日記 上下」があった・

威一郎は、勲一等瑞宝章。古いオルガンがあったが、一郎存命中は家族でオルガンを伴奏に聖歌を歌っていたそうだ。「友愛」「以和為貴」という書。中曽根総理と大学同期で、「渡辺美智雄君を総裁に推薦する」という墨字の手紙も陳列されている。威一郎は大蔵次官、衆議院議員外務大臣。趣味人で囲碁、謡、ゴルフ、、、。平成4年7月の期末手当(月給)は1148269円、支給は711929円。6月の期末手当(ボーナス?)は2916240円、支給は1808070円。

2階の大広間はパーティができる大きさだと思ったら、今でも披露宴などに使っているとのことだった。

鳩山家の書物が売っていたが、政治家・鳩山一郎を描いたものなどは全く無い。あるのは一郎が薫に送ったラブレターが本になったものや、邦夫の環境に関する書物などしかない。これはこの会館の最大の弱点だろう。仕方なく「鳩山家の勉強法」というキワモノを買うはめになった。5代全員が東大現役合格というのが本の売りだった。

この鳩山会館は、政治の色がほとんどない。むしろ個人に焦点があたっている感じだ。


帰り際に門のところに貼ってあったポスターには「鳩山太郎」という名前があった。邦夫の息子だ。鳩山家の宿命を背負った新たな人生が始まりつつある、ということだろう。