古賀政男音楽記念館

 古賀政男音楽記念館は、東京代々木上原にある。財団法人古賀政男音楽文化記念振興財団が運営をしている。三階建ての立派な建物である。地下は音楽情報とカラオケ・ルームがあった。


有名な歌を並べてみると、すごさがわかる。


影を慕いて・酒は涙か溜息か・丘を越えて・サーカスの唄・二人は若い・緑の地平線・人生の並木道・東京ラプソディ・男の純情・ああそれなのに・人生劇場・誰か故郷を想わざる・新妻鏡・うちの女房にゃ髭がある・悲しき口笛・湯の町エレジー・トンコ節・ゲイシャワルツ・無法松の一生・柔


 「古賀メロディー」と言われるように流行歌というイメージが強いが、若いときはあらゆるジャンルの作曲を手がけている。

 「社歌・団体歌」では、大川市歌、キャノン音頭、公明選挙音頭、日本税関の歌というもの展示してある。「スポーツ・レジャーソング」では、スキーの唄。プロレスの唄、リングの王者、、、。校歌も多い。明大マンドリン倶楽部の歌、九州大学医学部第二外科教室歌、、、。

 「ご当地ソング」も多い。宮城県のところを見ると、鳴子おどりがあり、「鳴子恋しや こけし娘、、、」というのがあった。

 トレーニング室には大型のピアノがあり、ソファセットが置いてある。ここで歌手への音楽指導をした。

 古賀政男は作曲は明治大学予科三年生で21歳のときからで、生涯で4000曲をつくっている。


 この建物の一階にホールがある。「NHK ラジオ深夜便 ロマンティックコンサートの集い にっぽんの歌 世界の歌」というイベントをやっているのに出くわした。午前0時あたりから朝の5時くらいまで、60−70代のファンが多い、素晴らしい番組なんだそうだ。パーソナリティの女性とトミ藤山という女性歌手がギターを弾きながら歌っていた。ちょうど疲れていたので、まぎれて楽しんでみた。「酒は涙か、ため息か」「湯の町エレジー」「悲しき口笛」(美空ひばり)「湖畔の宿」(高峰みえ子)などをまねして歌う。600人ほどが入りホールには高齢の男女の楽しむ姿が見えた。全くしらない世界だったが、こういうところにも大きなマーケットがあるのかとびっくりする。興味をそそられて帰りに「眠れぬ夜のラジオ深夜便」(宇田川清江新潮新書)を買う。このラジオ番組は、毎晩200万人が聴いているのだそうだ。ちょうど私の生活パターンと逆なので、今度聴いてみたいと思った。


「自伝」を読んだが、古賀は音楽を通じた文明批評家だと感じる。

以下、少しだけあげてみる。


・ 歌や音楽は、最高のそして総合的な文明評論である。

・ 歌曲のライトモチーフは、みな「時代」である

・ 人々の支持や共感とは、大衆が直感的に、その曲がその時代をどうとらえていたかということの最大公約数的な回答にほかならないと私は思う。

・ 戦争のときも平和のときも、私は一生懸命自分の心にそむかないように作曲してきたつもりである。

・ ひと言も褒めることなく、またけなすことなくして、私の曲をふと口ずさんで下さる人々だけが私の心の支え。


・ 私は戦前からすでに七回海外旅行をしているが、その都度私の歌は日本的なものになっていくようである

・ クラッシックはきびしし父の音楽であり、歌謡曲はやさしい母の音楽だと思う

・ 音楽の場合、明治年間の音楽教育がドイツ音楽の影響で発足したために、西洋音楽が正当になり、すべての音楽判断の基準になった

・ 民衆音楽と純音楽とのまったく隔絶された壁をつくっている

・ わが国の大衆音楽を毒しているもの、それはイミテーションと会社の営利主義だ

・ 私は日本のようにメロディー豊な国は他にないと思う

・ 音楽の精髄は、基本的にナショナリスティックなものである


古賀政男の人となりを記す。


・ 独身・犬が二匹と猫一匹

・ 鼻ひげ考・・・入院時・体のため

・ 陶器と絵―――自分の目で美しいと思うものしか手を出さない

・ 作曲

・ 1944年(明治37年)―――1978年(73歳)死去

国民栄誉賞

・ 1982年 古賀政男記念館開館