松本清張記念館訪問記

北九州の小倉城脇に立つ地上2階、地下1階の松本清張記念館を訪ねる。床が磨きこまれていて、手入れの行き届いた素晴らしい記念館である。自宅を模した建物が一階と2階から見れるようになっている。放映しているビデオは、縁のあった編集者たちが語る松本清張を流していて興味深い。この作家の作品は映画化されたものが多いが、そのいくつかを上映もしている。読書コーナーも設けてある。作品もたくさん用意されており、好きなものを買うのに困らない。今までみた記念館でも最上の記念館のひとつである。


入り口には北九州市と縁の深い作家の一覧が掲示されていた。平野啓一郎佐木隆三などの名前が見えるが、松本清張(1909−1992年)の知名度が群を抜いている。清張は44歳まで小倉に住んだ。1月18日にはテレビで「砂の器」のドラマが放映されるとのポスターも貼ってあり、作者は亡くなっても作品は生き続けるのだと感じる。


作家活動40年の間に書いた作品は長編・短編を含め実に1000編に及ぶ。著書は700冊。全著作がステンドグラスのように展示されている趣向にも感心した。42歳という遅い出発だったにもかかわらず、この量と質だから、常に時間との戦いということを意識していたのもうなずける。出来合いの分野の垣根を軽々と越えてあらゆるジャンルに関わりながら書き続けた。分類では、歴史・時代小説、自伝的小説、評伝的小説、推理小説、自伝・エッセイとなっていた。邪馬台国論争などにも関わり、歴史学者の心胆をさむからしめたり、とにかく守備範囲が広い。


直木賞受賞作となった出世作 或る「小倉日記」伝 は、最初は直木賞候補だったが、芥川賞に回されてことをみても一つの型にはめられないところがあったようだ。清張の文学を「脱領域の文学」という評もある。主題によって小説の形式を決定し、表現方法を考えるという作風で、フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史とあらゆる分野を跨いでいった国民作家である。


15才電気会社の給仕、19歳印刷会社の見習い職人、24歳オフセット印刷所見習い、28歳朝日新聞社九州支社広告版下係、33歳正社員、35歳第24連隊、39歳朝日西部本社広告部意匠係、そして41歳週刊朝日懸賞小説「西郷札」で3席入選、44歳「或る 小倉日記 伝」で芥川賞受賞、東京への転勤を経て47歳朝日新聞社を退社し作家生活へ、49歳「点と線」がベストセラー、50歳「帝銀事件」、51歳「日本の黒い霧」、52歳所得番付作家部門1位、55歳「昭和史発掘」、、、、。


清張は「好奇心の根源とは?」との問いに、「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」とビデオの中で語っている。13才下の同時代の巨人・司馬遼太郎は鳥瞰的手法を用いた作家であるのと極めて対照的な作風である。


膨大な作品群を歩いていて感じるのは、小説のタイトルがいいということだ。「砂の器」「神々の乱心」「ゼロの焦点「点と線」「黒の回廊」「日本の黒い霧」「けものみち」「昭和史発掘」、、、。


「当時の制度下で生きる人間を描くことは、現代の組織の中で息する人間を描くことになる」


現代史の分野では「日本の黒い霧」で占領下の12の事件を追求している。帝銀事件下山事件、造船疑獄、昭電疑獄、、。ここでも「先入観を持たず、権威や学問をまず疑ってかかる」ことを述べている。


堅固な構造のストーリー・スピード感のある展開・絶妙に語られる人間や風景の描写・これらの要素が織り成す小説的リアリティ。


「思索と創作の城」というテーマで杉並区高井戸の自宅を模した建物がこの記念館の中にできており、書庫4つ・応接室のある1階、書庫4つと資料室、そして書斎のある2階がそのまま外から見ることができる。書斎は、亡くなったその日のままにしてあるそうで、スケジュール表も見ることができる。付き合っていた編集者達が語る清張のビデオ「清張の残像」も面白かった。以下は中央公論社、光文社、新潮社、朝日、講談社文藝春秋社などの敏腕編集者たちの清張を巡るエピソードである。


 命と時間との競争だ・調べものには厳しかった・緊張感がありいつも真剣勝負だった・時間がない。他の作家がゴルフなどをやるのは信じられないと語っていた・自らを奮い立たせた人だった・とほうもないエネルギーを持つ怪物だった・書くことが多すぎると語っていた。


また、自宅を上空から空撮で覗く映像から入り、家の中をカメラがずっとゆっくり映していくビデオも用意されているなど、この記念館はソフトに工夫が行き届いていると感心した。


書庫には3万冊の蔵書が収納されている。世界の名著・日本の名著・人物伝など全集ものが多い。これらは執筆時に辞書として活用していたものだろう。


エレベータで地下に降りると、読書室、レストラン、売店がある。読書室には机と椅子が6脚、7−8人がけのソファーがあり自由に備え付けの作品を読むことができるようになっている。

面白い調査記事がその読書室に貼ってあった。毎日新聞の2004年10月26日の記事である。第58回読書世論調査の「好きな作家」(一人で5人挙げる)という結果が出ていた。


芥川賞では、1位松本清張(22%)、2位遠藤周作(17%)、3位井上靖(13%)、4位石原慎太郎、5位田辺聖子、6位北杜夫、7位大江健三郎、8位村上龍、9位石川達三、10位柳美里


直木賞では、1位司馬遼太郎(17%)、2位五木寛之、3位向田邦子


この松本清張司馬遼太郎は様々な面で興味深い比較ができるようで、両方と近い関係にあった編集者で後に作家となった半藤一利が「清張さんと司馬さん」というエッセイをものしていた。ローアングルの清張はデビュー作から最晩年の「両像・森鴎外」まで一貫して鴎外に興味を持ったのに対して、ハイアングルの司馬は晩年には漱石を懐かしむようになった。


けものみち」「推理小説作法」「或る 小倉日記 伝」「両像・森鴎外」「松本清張全集65巻 清張日記」などを買い込む。


「歳をとって、よく人間が枯れるなどどいい、それが尊いようにいわれるが、私はそういう道はとらない。それは間違っているとさえ思う。あくまでも貪欲にして自由に、そして奔放に、この世をむさぼって生きていたい。仕事をする以外に私の枯れようなんてないんだな」。

最後まで駆け続けた松本清張らしい言葉である。


20代の頃に「けものみち」(久恒という刑事が出てくる)や「顔」という映画を読んだり観たことがある。そしてあの独特の風貌をテレビなどで見たことを覚えているが、その当時は強い印象を受けなかった。

しかし、今までの持っていたイメージをはるかに超える大型の作家、あるいはそれ以上の巨大な知性を感じる訪問となった。小倉城の入り口に建つという絶好の位置取のこの記念館は清張の全生涯と全仕事を素晴らしいハードと様々な工夫を凝らしたソフトで凝縮して見せることに成功している。