樋口一葉日記

完全現代語訳の「樋口一葉日記」(高橋和彦)を読み終える。16歳(明治20年)から亡くなる25歳(明治29年)までの9年間の日常や想いを綴った作品である。2段印刷で450頁ほどある。「恋と文学と借金」に彩られた作品で、一葉の人となりや考え方、姿勢などがよくわかる。一葉は可愛そうなくらい心のきれいな女性だと思った。


一家の責任を果たそうという気概、文学への取り組み、世間というものへの醒めた眼差し、親孝行のための借金、萩の舎という歌塾での稽古の様子、鴎外・緑雨・禿木・露伴などとの交遊、桃水との恋の葛藤、一日10冊を読んだこともある読書の習慣、上野や本郷・竜泉寺を中心とする東京の様子、雑誌への小説の寄稿などの経緯、人々との会話の詳細な内容、地震や雨の多い東京の様子、お金の話、、、、、。


・私のは古着ではあっても親からの贈り物だと思うと、ほのぼのと嬉しい思いがする。

・思いの溢れることを書き記すことにします。

・例によって、小説気違いなので、夜十時まで読み耽って、十冊ほど読む。

図書館は、いつ来ても男子は非常に多いが、女子の閲覧者が殆ど一人もいないのは不思議な気がする。

・人間として忍耐ということは、どんな宝よりも立派なものだと思う。

・命ある限りはどんな苦しみにも耐え、頑張って学問をしたいと思う。

・田中みの子さんが私に「遠慮の姫」と仇名をつけて笑ったりなさる。

・思いのままに書き続けて行くと、人のかげ口ばかりのようになって、自分でも何だか情けない思いです。

・世間にはどうして、大金持ちで暇をもてあます人が、こんなにものどかに暮らしているのだろうか。

・古今の有名な物語や小説を見る度に、自分の文章のまずさが我ながら悲しくなり、、、

・今日から小説を一日に一回分ずつ書くのを勤めとする。一回分書かない日は黒点をつけようと定める。

・一度読んだらすぐに屑篭に捨てられるような、そんな作品は書くまいと思っているのです。

・千年の後にまで残そうとする大切な名声を、ただ一時的な奢りや栄達でどうして汚してしまうことができようか。

・私は言いにくかったのですが、思い切って借金のことを申し出たのです。恥ずかしさに顔が燃えるようでした。

・一番大切なことは親兄弟の為や家の為にすることです。

韓非子」の「説難」の篇は胸に突き刺さる程の感銘を受けた。

・母上に安らかな生活を与え、妹に良縁を与えることが出来るなら、私は路傍にも寝ようし乞食にもなろう。

・入るお金は四百字一枚が僅か三十銭になるにすぎない。

・恋は尊くもあり、また浅ましく惨めでもある。

・夜、家族みなで相談して商売を始めることに決定する。

・この世を生きて行くために、そろばんを持ち汗を流して商売というものを始めようと思う。

・そして暇ができたら月もみよう花もみよう、興が湧いたら歌も詠もう文章も書こう、また小説も作ろう。

・このまま落ちぶれ果ててしまって、一生涯あのお方にお会いすることも出来ず、忘れられてしまって、私の恋は流れる雲のように空しく消えてしまうのだろうか。

・すっかり怠けてしまったこの日記よ。

・このような時代に生れ合わせた者として、何もしないで一生を終えてようのでしょうか。何をなすべきかを考え、その道をひたすら歩んで行くだけです。

・昔の賢人たちは心の誠を第一として現実の人の世に生きる務めを励んできたのです。務めとは行いであり、行いは徳です。徳が積もって人に感動を与え、この感動が一生を貫き、さらには百代にわたり、風雨霜雪も打ち砕くことも出来ず、その一語一句が世のため人のためになるものです。

それが滾々として流れ広まり、濁を清に変え、人生の価値判断の基準となるのです。

・力もない女が何を思い立ったところでどうにもならないとは分かってはいるが、私は今日一日だけの安楽にふけって百年後の憂えを考えないものではない。

・邦子が私のことを「なま物知りのえせ者」と非難するのを聞くと、本当にそう見えるのだろうと恥ずかしい思いです。

・何といっても安心できるのは、独り静かに昔の書物などを読むときです。

・あの源氏物語は立派な作品ですが、書いた人は私と同じ女性です。彼女が仏の生まれ代わりだとしても、やhら人間である以上、私と何の違いがありましょう。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうと思う人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代の事を後世に書き伝えるべきであるのに、そんな気持ちを持った人が全くいないのです。

・才能はうまれつき備わっているもので、徳は努力して養うものです。

紫式部は天地のいとし子で、清少納言霜降る野辺の捨て子の身の上と言えるでしょう。

・世間の毀誉褒貶を超越して、静かに心をこめて筆墨を採る人が果たして幾人いるでしょうか。

・何と馬鹿げたことよ、私を世のすね者と言う。あるいは明治の清少納言とか女西鶴とか言う。

・世の中はいつも変わるものなのに、変わらないのは私の貧乏と彼の裕福だけ。

・まして一時の情に走り酔い、恋の炎の中に身を投げ入れている人々は、やがて相手の心変わりにつらい思いをすることでしょう。

・今の私はすべての欲望を棄て去っているので、、

・虚名あしばらくの間のことであってやがては消えてしまおうでしょう。しかし、一度人の心に抱かれた恨みは、果たして行く水のように流れ去るでしょうか。

・身を棄ててしまったら、世の中の事は何が恐ろしかろうか。

・私を訪ねて来る人は十人中九人までは、私が女性であるということを喜んで、もの珍しさで集まって来るのです。

・しかし、どうして今さら世間の評判など。