「ほんとうの時代」(PHP)1月号:「人物記念館の旅」連載5回目、今月は「原敬」を取り上げた

「平民宰相」として知られる原敬記念館を11月3日に岩手県盛岡市に訪ねた。翌日の4日が、首相在任中に東京駅丸の内南口で18歳の青年によって暗殺された命日である。原敬は1921年(大正10年)に65歳で世を去る。


 2005年は1856年生まれの原の生誕百五十周年にあたるため、記念館では

原敬、故郷を想う---老死なば滋に朽ちなん花のもと」という企画展覧を

開催していた。暗殺の噂があったこともあり、原は死をも覚悟して遺書をしたためていた。「死去の際位階勲等の付与は余の絶対に好まざる所なれば死去せば即刻発表すべし」「墓石の表面には余の姓名の外戒名は勿論位階勲等も記すに及ばず」など原の政治を行う決意をうかがい知れる言葉が並んでいる。


   中略



原敬は、62歳から65歳までの3年2ヶ月の間、総理を務めた。爵位を持たない衆議院議員が首相になったのは初めてで世間は平民宰相といって歓迎した。藩閥、官僚、貴族院の勢力を排して完全な政友会内閣を組織した。藩閥の弱体化、軍閥の弱体化(文官任用)、政党政治の確立、高等教育機関の大増設、狭軌地方線の拡大、臨時国語調査会の設置、選挙資格の拡大、文官登用にあたり自由任用範囲の拡大、アメリカ重視、シベリア撤兵、中国との関係改善、国際連盟常任理事国、皇太子の外遊(暗殺の原因)など、仕事師宰相だった。


原敬という人物は、政治家として、そして個人として本物の日本人であると、大きな感銘を受けて記念館を後にした。