空海を超えた「蒼海 副島種臣−−全心の書」展を観る

佐賀の県立博物館で副島種臣の没後百年記念の「蒼海 副島種臣−−全心の書」展を観る機会があった。

副島(1828−1905年)は、44歳で外務卿(大臣)をつとめ日清修好条規を結ぶなどした佐賀藩出身の俊才だが、書の方が後世に大きな影響を与えているといえるかもしれない。和・漢・洋に及ぶ広い学識を持ち、明治天皇の侍講もつとめる。優れた漢詩人、能書家。兄は勤皇家の枝吉神陽。幕末は尊王倒幕運動に奔走。外務卿時代には樺太境界につきロシアと協議、横浜港寄稿のペルー商船マリア・ルーズ号の中国人奴隷の解放、日清修好通商条約の批准書を交換など「正義人道の人」として海外でも名高い。明治6年には征韓論で下野。翌年板垣らと民選議員設立建白書を提出。その後、明治天皇の侍講、明治25年には松方内閣の内務大臣もつとめている。

清国の同治帝謁見時に、床にひざまずく拝きの礼を拒み、立礼を要求。結局立ったまま三度の礼をする「三しゅうの礼」によって謁見するなど、対等な近代国家同士の外交関係であることを示す立礼の実現は外国からも大きな賞賛を得ている。


以下は私の印象。

奔放、遊びが多い、絵画的・漫画的、傾きも自由、象形文字風、楽しい文字、変化する書風、、、。この人の書は当時から人気が高かったというが、真面目だけというのではなく、遊びや工夫が随所にあり、従来の書の殻を破った奔放さや楽しい書風が受けたのだろうと納得した。


現代の「書」の批評家として特異な才能を縦横に発揮している石川九楊京都精華大学教授・文字文明研究所長)が日経新聞紙上でこの副島の書について語っている。


 ・ミロやクレーの抽象画を思わせる

 ・マンガ的

 ・絵画は色と形の表現だろうが、書は「筆触」(深度、速度、角度から読

  み取れる)と「構成」(点画を文字に仕立てる構想)との統合表現であ

  る

 ・書きづらい「左旋回」の筆触

 ・一つの字画が他字の中ま侵入する文字や、斜めに倒れた文字、左右反転

  の鏡文字、、

 ・内藤湖南「高古けい秀、名状すべからず」

  河東碧梧堂「書聖」

  有島生馬「その右に出るものは空海

  高村光太郎「抜群」



「全心」の書は、技巧など考えず心を全て筆に集中して書くべくだという副島の考えを示している。若い頃は速く勢いのある書を書いたが、後には「全心」を語ったという。