グラバー邸

現存する日本最古の木造西洋建築であるグラバー邸。昭和49年に移築復元された。長崎グラバー園の中心的建物である。1838年生まれのトーマス・ブレーク・グラバースコットランド出身の商人で、1859年に21歳で長崎に来日する。幕末に勤皇派の坂本龍馬伊藤博文などに援助を与えた。明治維新後、政府はその業績に勲二等旭日章を授与している。

日本で終生を過ごすが、その伴侶となったのはツルで、ふたりの間には倉場富三郎(1870−1945)が生まれている。トロール漁法を日本に導入するなど水産界に革命を起こす。21年かけて編纂した「グラバー漁譜」は有名だ。

「大海是田」と書かれた書が飾ってあった。これは富三郎が松原新氏に書いてもらった書額だ。大海は田んぼのように豊かである、という意味だ。

グラバーは「赤鬼」と言われて、立派なひげを持っていた。キリンビールのラベルの麒麟の太い口ひげはこのグラバーがモデルという。グラバーはキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーの社長もつとめていた。


このグラバー園には幕末に活躍した外国人のの自宅を移築した建物が多い。ロバート・ネール・ウオーカー(1840−1908)のウオーカー邸。日本の海運業界に大きな業績を残し、後に日本初の清涼飲料水メーカーを設立。親子二代にわたって長崎で暮らした。


イリアム・オルト(1840−1905)は英国出身。製茶業で成功。オルト邸は大浦天主堂を手がけた小山秀之進が建築した。


フレデリック・リンガー(1840−1908)は英国出身。居留地の外国人と市民との交流の場である「内外クラブ」を開設し、長崎の上下水道建設、外国貿易・代理店・製茶・製粉・発電など幅広い事業を展開した。


明治維新はこういった外国人商人の陰の援助があって成立したものだということを感じる訪問となった。